筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
1607年、エドワード・コーク卿が国王ジェームスⅠ世に諫奏するに、ブラクトンの法諺を持ちだしたエピソードは名高い。この法諺とは、裁判官ヘンリー・ブラクトン著『イングランドの法と慣習』(1235~60年の間で正確な完成年は不明、上司の裁判官Raleighの作業を引き継いだ)にある、「Quod Rex non debet esse sub homine, sed sub Deo et sub Lege」である。訳せば、「国王であるが故に何人にも服してならないが、神の下と“法”の下にあるべきである」(注1)。
ブラクトンのこの法諺は、特に1990年頃から恣意的立法に暴走する日本の国会が、もう一度自らの立法を自ら規制すべく自戒をもって厳守すべき絶対鉄則。皇室の弥栄が国家存続の基盤条件である日本国の生命源を救済するため、ブラクトンが日本国に遺した“生きている法諺”である。
「国王は立法と裁判の大権をもつ」からと、国王の恣意への阿諛が横行する王権神授説の幕開け時代に抗して、裁判は国王が裁くのではなく“法”が裁くのであり、勅令による立法もまた“法”に規制・制限されると、コーク卿は国王に直接「国王の大権は法の支配の下にある Laws rule the King」と諫奏した。このコーク諫奏はこのまま、立法の全能大権を持つと錯覚し“国会の立法大権は無限”主義に胡坐をかく日本の衆議院・参議院国会議員への警告「国会は“法の支配”に従え!」となる。