A級戦犯“分祀”論を否定する高市早苗の靖国神社参拝は昭和天皇と日本国への叛逆である──総理は、中共の内政干渉を断固排撃すべく、「春秋の例大祭」参拝を欠いてはならない。しかし、昭和天皇の御聖断に従うことは日本国民の絶対義務

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 私は、高市早苗を高く評価し、日本国民は挙って絶対に応援すべき第一級の政治家だと確信している。が、同時に高市早苗は危険視すべき人物でもあると強く警戒している。理由は、高市早苗とは、両極に分裂する二重思想の政治家、すなわち善のジキル悪のハイドだからだ。

 特に、高市が44歳の時に発表した論考「自民党でも流行り出したA級戦犯分祀論への疑問」(2005・5・23)は、恍惚と自惚れる無知丸出しウルトラ詭弁のオンパレード。有害極める反日極左性が満開。また、昭和天皇と日本国への叛逆や憎悪が爆発している。その一例が次。

「政府が靖国神社に《A級戦犯を分祀しろ》との指示を行うことは、憲法が定める信教の自由を侵害し、政教分離の原則にも反する」

 日本の敗戦前、靖国神社は陸軍省・海軍省が所管する官立神社で政府機関。しかし、高市は際立つ無学・無知だから、この事実すら知らない。A級戦犯“合祀スキャンダル”は、敗戦で解体された陸軍省・海軍省を継承した厚生省引揚援護局の局次長・美山要蔵(最終は阿南惟幾・陸軍大臣の高級副官=陸軍省官房長、陸軍大佐、NKGB→KGB工作員、1962年に定年退官、死没1987年)の部下の大野克一・調査課長(終戦時、陸軍中佐)が美山の指示に従い、1966年2月、合祀名簿を靖国神社に送付し始まった。

 この時、それを受け取った宮司・筑波藤麿(皇族・山階宮家から臣籍降下)は昭和天皇に奏上し、昭和天皇のご聖慮「合祀を認めず」を確認した後、名簿をポンと棚に放り投げ無視。筑波・宮司は陛下に忠良な本物の臣下かつ実に賢慮な人柄だった。

 すなわち、靖国に合祀されているA級戦犯十四名は、政府が靖国神社に「合祀せよ」と命じた案件だから、逆に政府が「合祀を取りやめろ。分祀しろ」という指示を出すことができる。高市は、靖国神社への日本国民の参拝が信教の自由で保護される問題と、政府の決定権下にある戦死軍人の合祀問題とを混同している。高市の無知蒙昧さは度が過ぎており白痴のレベル。

 靖国神社が政府機関=官立神社だった時代のルールに遵い、美山要蔵は政府としてA級戦犯十四名を選んだ。靖国神社が勝手に選んだのではない。しかも、戦前では戦死軍人の合祀に当り、大元帥・天皇陛下がその祭神名票一人一人をご高覧された後の御裁可を絶対手続きとした。戦後の昭和天皇は大元帥ではなくなったが、天皇の「祭神名票」確認と承認は慣習で踏襲された。

第一節 靖国「A級戦犯」合祀問題で無知を爆発させる“傲慢”高市早苗――昭和天皇のご遺詔「“スターリンの犬”白鳥/松岡を靖国に祀るな」に唾を吐く高市

 1978年10月17日、“度外れのスターリン崇拝者”&“過激な反米屋”松平永芳は、昭和天皇の御裁可を経ずに、1966年に厚生省から送られ店ざらしになっていたA級戦犯十四柱を勝手に合祀した。“狡猾で邪悪な天皇殺し屋”松平永芳は、それから一ヶ月の同年11月、この十四柱の名票を宮内庁に届けた。松平永芳は、“昭和天皇に刃を向ける独り叛乱”を平然と断行したのである。実際にも「10・17松平永芳」は、昭和天皇への“第二8・14宮城クーデタ”の断行だった。松平永芳は、昭和天皇を銃殺できなかった8・14宮城クーデタを、《未完》のまま終わらせてはならないと二十三年間も執念を燃やしたテロリストだった。

 半年後の『朝日新聞』1979年4月19日付けが、A級戦犯合祀をすっぱ抜いた。昭和天皇は、既に1978年11月にご存じなので特段に驚かれることはなかったが、国民は驚倒し私も目をひん剥いた。

 1978年11月以前の昭和天皇は、靖国創建110周年に当たるので、1979年10月の秋季例大祭に御親拝なされる予定だった。が、1978年11月、翌年の御親拝の中止をお決めになられた。一方、天皇制廃止狂コミュニスト松平永芳は、御親拝が廃止になるのは自明のことと予想していたので平気の平左。「A級戦犯の靖国合祀→東京裁判否定=昭和天皇への叛乱(「天皇は要らない」革命)」が、松平永芳10・17クーデタの目的である以上、昭和天皇の御親拝“中止”は願ったり叶ったり。

表1;戦後の昭和天皇の靖国《御親拝》

第一回 1952年10月

第二回 1954年10月

第三回 1957年4月

第四回 1959年4月

第五回 1965年10月

第六回 1969年10月

第七回 1975年11月

1978年10月、松平永芳がA級戦犯合祀を強行

1978年11月、松平は昭和天皇に「事後承認せよ」とA級戦犯の名票を宮内庁に渡す。天皇は「これを許さず」と、ずっと前に予定していた1979年の秋季例大祭への御親拝を中止。

1979年4月、新聞がA級戦犯合祀を報道。

 昭和天皇が「靖国に親拝せず」を1978年11月に御決心された理由を、富田朝彦(宮内庁長官)と卜部亮吉(侍従)の二人が記録していた。富田メモ1988年4月28日条が次。

 「1978年にA級戦犯が合祀され、その上 松岡洋右/白鳥敏夫までも(合祀されたと聞いた)。・・・

 今の宮司(松平永芳)がどう考えたのか、易々と(合祀した)。だから、あれ(1975年11月)以来 参拝していない」。

 靖国神社に白鳥/松岡を祀った松平永芳の問題とそれを支持する神社本庁や日本会議の問題は、拙著『昭和天皇と靖国神社』第二章を参照されたい。そもそも、(日本国の国益に違背する上に米国との亀裂を決定的にした)日独伊三国同盟(満洲一般邦人の大虐殺と107万人のシベリア強制連行をもたらした)日ソ中立条約を締結し日本国を亡国に導いた“祖国叛逆者”松岡洋右を靖国の祭神にするなど冗談でもできないはず。

 しかも、松岡洋右は外務省の文官で、戦場で戦死した軍人ではない。また、松岡は東京裁判の開始時点で肺結核がひどく東大病院の特別室に移送され、豪奢な羽根布団の中で死んだ。よって、直ちに東京裁判は彼を公訴棄却し、松岡洋右は東京裁判とは全く無関係になった。

 靖国神社の本旨において、法務死ですらない松岡洋右の靖国合祀など万が一にもありえないだろう。ところが、民族系コミュニストの気狂い松平永芳は、松岡洋右を祭神にした。理由は、松岡が日ソ中立条約を締結しスターリンとキスしたこと。松平永芳の狂気には僅かの常識も良心も存在しない。“祖国日本への叛乱の拠点”靖国神社をスターリン廟にしたい松平永芳の妄執は天を焦がす。

 また、白鳥敏夫とは、日独伊ソ四ヶ国同盟による世界制覇を構想し、外務省全体をスターリン崇拝に洗脳した“反日の中の反日人士”。白鳥を靖国に祀ること自体、靖国をスターリン廟に変えることと同じ。つまり、《日本はついにソ連国の奴隷》になったと子々孫々に高らかに勝利宣言したく、松平永芳は昭和天皇の御聖旨に反旗を翻し、白鳥敏夫の靖国合祀をやり遂げたのである。

(備考)吉田茂は総理になるや直ぐ白鳥敏夫直系の外交官を外務省から追放。これを「Y(よしだ)パージ」という。

靖国神社をスターリン廟に“改造”した、“三匹のスターリン狂徒”松平永芳/美山要蔵/青木一男

 靖国神社をスターリン廟に改造することで、美山要蔵以上に活躍したのが、大蔵官僚出身で河上肇のコミンテルン日本支部(日本共産党)の党員だった青木一男。スターリン狂徒の青木一男は、米穀統制法/石油業法/国家総動員法など、スターリン型政治体制に移行せしめる諸計画経済法の嚆矢と言える外為法の立法(1933年)を牽引した。

 霞が関の共産党員官僚と陸軍の共産主義将校を集結した企画院が、1937年10月、近衛文麿によって、「対支那戦争のため」と称して設立された。この設立にあたり、そのリーダーは近衛文麿首相が指名した青木一男。河上肇を共通の師と仰ぐ近衛と青木は、過激共産党員の義兄弟だった。

 共産党員の青木一男は、1978年時点、靖国神社崇敬者総代会のボスだった。1978年7月1日、皇国史観(=「レーニン史観」の偽装表現)のコミュニスト松平永芳が新しい宮司になった。それから僅か三ヶ月しか経たない10月17日、A級戦犯「14柱」が合祀された。この合祀は、青木一男/松平永芳/美山要蔵の三人が共謀した《昭和天皇へのクーデタ》だった。三人のクーデタ目的には、靖国神社をスターリン廟にすることも含まれていた。

 昭和天皇を蛇蝎のごとく呪詛する天皇制廃止“狂”青木一男の口癖は、東京裁判のA級戦犯容疑者だったこともあってか、「A級戦犯を合祀しないと東京裁判を認めたことになる(=東京裁判を否定するためにA級戦犯を合祀するのだ)」「日本を弱体化するGHQ占領政策」など、共産党の公式見解を靖国神社内に吹聴した。靖国神社の神官たちを共産主義に洗脳するためである。

 靖国神社にはA級戦犯以外のスターリン狂徒や軍刑法犯罪者が、少なくとも数千人の規模で合祀されている。昭和天皇を銃殺せんと“叛乱軍の首班”阿南惟幾(自殺で戦死ではない)、「在満」日本人婦女子数十万人をソ連軍兵士にレイプと殺人ごっこ用に提供すべく満鉄の運航を中止した悪魔・草場辰巳(自殺で戦死ではない)、森赳・近衛師団長を軍刀で切り殺した殺人鬼・上原重太郎(自殺で戦死ではない)、特攻隊で若者を大量殺人した大西瀧治郎(自殺で戦死ではない)等は、氷山の一角。

 靖国神社の祭神は徹底的に再調査し犯罪者や部外者を全員叩き出すべきだ。スターリン崇拝の共産主義者の阿南惟幾/草場辰巳/上原重太郎は犯罪者の筆頭。自国民(次代の日本国を担う若者)殺人が大好きな精神異常者・大西瀧治郎も軍刑法犯罪者。

 1944年8月22日に陸軍兵器輸送船「対馬丸」に無賃乗船して撃沈された沖縄の小学生は軍人ではないし戦死したわけでもなく、靖国神社にとり完全な部外者。彼らは祭神にはなりえない。その取り消しは絶対だろう。しかし、この小学生たちを共産党が祭神に御推挙。すると、共産党様からの御命令とばかり、百%スターリン廟の“真赤な反・神社”靖国神社は唯々諾々と彼らを祭神にした。

 なお、1944年の沖縄県知事は、学童の疎開地を沖縄北部の森林地帯に創ろうとした。が、その父母たちが、福岡県に疎開させれば食費がタダになると、食費節約が目的で米軍の潜水艦が展開している海を往復していた陸軍の兵器運搬船に(本土に戻る時は空で、料金タダだと)乗せたのである。

 要するに、日本共産党の支配下にある靖国神社は、“スターリン崇拝の気狂い共産主義者”を宮司(松平永芳)や総代会のボス(青木一男)にした罪を詫びて、靖国を正しく日本国の武人の霊廟に戻すべきだ。その嚆矢に、インドの共産主義者でGRUロスケの「超・反日」パル判事の(境内にある)碑をハンマーで打ち砕きシベリアに捨てることを選んだらどうだ。

 パルは大甘言「大東亜戦争“肯定”」で日本人を騙し、日本国の共産化&昭和天皇“殺”し&日本列島のソ連「併呑」に誘い込むのを任務としたスターリン派遣の対日工作員。現在のモディ首相もだが、インド人政府要人の多くはロシアと通謀している。インド人を信じるなど烏滸の沙汰。

日本を破滅に導いた“極悪の非国民”A級戦犯を分祀しない高市早苗の赤い狂気

表2;靖国に合祀されたA級戦犯十四名(松井のみBC級、文官の靖国合祀は噴飯物)

靖国に合祀された日本国を毀損した叛逆者達

刑罰ならびに若干の備考

東條英機

陸軍大将 内閣総理大臣

絞首刑 1948年12月23日、国家無き権力亡者

廣田弘毅

外交官 内閣総理大臣/駐ソ大使、文官

仝上、近衛文麿の腰巾着、GRUロスケ

土肥原賢二

陸軍大将 陸軍次官

仝上、北支分離で蒋介石の弱体化を進めた

板垣征四郎

陸軍大臣 支那派遣軍総参謀長

仝上、対支那戦線を拡大した罪?

木村兵太郎

陸軍大将 ビルマ方面軍司令官

仝上、日本が軍刑法で死刑にすべき犯罪者。

松井石根

陸軍大将 中支那方面軍司令官

仝上、A級戦犯ではなくBC級戦犯

武藤章

陸軍中将 陸軍省軍務局長

仝上、毛沢東崇拝の中共の対日工作員

白鳥敏夫

外交官 駐イタリア大使、文官

終身刑 刑期中病死 1949年6月3日、GRU

小磯国昭

陸軍大将 内閣総理大臣/朝鮮総督

終身刑 刑期中病死 1950年11月3日

梅津美治郎

陸軍大将 陸軍参謀総長

終身刑 刑期中病死 1949年1月8日

平沼騏一郎

首相/枢密院議長、文官

終身刑 仮釈放後に病死 1952年8月22日

東郷茂徳

外交官 外務大臣 駐ソ大使、文官

禁固20年 刑期中病死 1950年7月23日

永野修身

海軍大将、海軍軍令部総長

判決前に病死 1947年1月5日 公訴棄却

松岡洋右

外交官 外務大臣、文官

判決前に病死 1946年6月27日 公訴棄却

 表2のリストに不当な判決と考えるべき人物など一人でもいるか。いないではないか。全員、日本国を亡国に導き、国土を荒廃させ、将兵であれ銃後であれ、多くの一般日本人を死なせた自国民“大量”殺戮”狂の犯意あるor無意識の殺人鬼。1937年7月7日~45年8月14日に至る八年間の対支那戦争にせよ、41年12月8日からの四年弱の対英米蘭戦争にせよ、この戦争の対象国「蒋介石の中華民国、米国、英国、オランダ、豪州」は全て日本国の友邦。大東亜戦争が日本国に一㍉の危害を加えたことがない友邦への戦争だった事実は、自衛の戦争ではなく、自国民を殺害尽す“狂気のポル=ポト型”「日本国共産革命」「日本民族“皆殺し”」が戦争目的だったことを明らかにする。

 つまり、頭が赤く狂った日本が、自傷行為的に祖国日本に叛逆した戦争、それが大東亜戦争の本性で真相。実際にも、大東亜戦争八年間の日本は、①日本民族“皆殺し”と②昭和天皇の銃殺を戦争目的とした。③日本列島の領土と日本国の産業全てをスターリンに貢ぐことを戦争目的とした。

 仮にも大東亜戦争をレーニン崇拝の林房雄(偽装アナーキスト)と同じく肯定するなら、それは大東亜戦争に徹底反対された、英邁さ世界第一級で完璧な判断力を有する天才・昭和天皇に弓引く“朝敵の叛逆”。ということは、大東亜戦争を肯定する高市早苗とは、8・14宮城クーデタの阿南惟幾・平泉澄の同志で、昭和天皇を殺害したい/日本国領土をロシアに献上したい“天皇と日本国への叛逆者”だと言ってよかろう。

「5・15クーデタ→2・26クーデタ→8・14クーデタ→10・17松平永芳クーデタ→4・30晋三クーデタ」

 そもそも、松平永芳が独断専行した1978年10月17日のA級戦犯合祀は、反・昭和天皇クーデタの色合いが濃厚だった。しかも、「第二次8・14宮城クーデタ」の臭いが強く漂っていた。

 昭和天皇を監禁or銃殺し「ポツダム宣言を受諾せず/終戦せずに戦争は続行!」と国民に檄を飛ばすニセ大詔を渙発するために蹶起した1945年8月14日深夜の宮城クーデタは、武器を持たない素手の田中静壱・陸軍大将によって粉砕された。このことに憤懣やるかたなしなのが、サイゴンにいて参加できなかった、8・14クーデタの皇国史観・平泉澄一派に属するスターリン狂の松平永芳。

 つまり、松平永芳は、昭和天皇を殺害できなくとも、昭和天皇が嫌がって激怒されることをして、1945年8月14日深夜の宮城クーデタの失敗を補完する、一種の報復をしたかったのだ。少なくとも、昭和天皇に「ざまーみろ」との罵倒語をなげつけたのと同じ効果のしっぺ返しとして、このA級戦犯合祀を強行したのである。

 このことは、1945・8・14宮城クーデタと三十三年後の1978・10・17松平永芳クーデタ(A級戦犯合祀)が共通するイデオロギーで遂行されたことからもわかる。両者のイデオロギーは、「水戸学+レーニン主義」。両クーデタはマルクス・レーニン主義一色だった2・26クーデタの継承なのだが、水戸学(=反体制アナーキズム)を付加している点で、イデオロギー的には多少の相違がある。経済体制の革命をもたらすマルクスの代わりに、体制革命(=天皇制廃止)の水戸学に入れ替えているからだ。

 水戸学について、日本人は馬鹿げた嘘解釈しかしない。私は、反・水戸学の黒田藩藩校・修猷館の出。水戸学とはその表向きのスローガン「尊王攘夷」とは真逆で、天皇制廃止の革命思想を内包している。水戸学の吉田松陰の直系塾生から天皇制廃止の山縣有朋が生まれた。一方、同じ松下村塾卒の伊藤博文は強度な王制主義者だったから水戸学を嫌悪し自分の体に染み込んだ水戸学を洗浄して消さんと努力していた。

(備考)スターリンが選抜した日本共産党の初代党首・河上肇は、長州藩の生まれ。長州藩は、大村益次郎と伊藤博文を例外に、安倍晋太郎・晋三の親子など、過激共産主義者ばかりが雲霞と叢生する。

 伊藤博文は、明治憲法と明治皇室典範を「一に井上毅、二に金子堅太郎」を使って起草。明治時代の王制主義者を代表する井上毅(細川藩校・時習館卒)も金子堅太郎(修猷館卒)も、強度な反・水戸学。反・水戸学を学問の世界ではなく、政治の世界に正面切って導入したのが彦根藩の藩主・井伊直弼。ために井伊直弼は、水戸学を狂信する水戸藩の浪士(実際は藩士)に暗殺された。

 昭和天皇を東京裁判で起訴させず、その聖性を完璧に守らんとした米国人は、マッカーサー元帥/キーナン首席検事/フェラーズ准将/ウィロビー少将の四名。このフェラーズと組んで、マッカーサーに「昭和天皇を起訴する理由は存在しない」証拠として提出した、『昭和天皇独白録』作製の中心人物が寺崎英成。寺崎の父親は黒田藩士で修猷館卒。天皇を守り天皇制度を護持する国体護持の精神は、かくも反・水戸学と密接に関係している。

 なお、金子堅太郎は日本のバーキアン第一号で私が第二号。井上毅は日本の反ルソー/反フランス革命の第一号で私が第二号。三名とも反・水戸学。藤田東湖/会沢正志斎/吉田松陰の著作で一目瞭然だが、水戸学の知的水準の低級さは目を覆う。エリート知識人の読むべきものにあらず。

昭和天皇の聖性を守り国体(天皇制)護持を完遂した東京裁判に感謝した一億日本人

 東京裁判は、昭和天皇を無罪にしただけではなく、起訴する事由がないと初めから不起訴にした。強度な王制主義者だった「マッカーサー元帥/キーナン首席検事/元帥の副官フェラーズ准将/おそらくウィロビー少将」ほかが、昭和天皇の聖性を護持し日本の天皇制度を守るため、昭和天皇の不起訴処分に奔走したからである。これに怒るウェッブ裁判長は、昭和天皇を証人尋問で法廷に引きずり出そうとしたが、頭脳明晰なキーナン検事がことごとく潰した。国体護持と昭和天皇の聖性“死守”で、キーナンに匹敵する働きをなした日本人は、戦前・戦後を通じ一人もいない。

 だから、九割以上の日本人は挙って、東京裁判に感謝した。私がかねてより、キーナン検事の銅像を皇居前広場に建立せよと言い続ける理由もこれである。和気清麻呂とキーナンの銅像が並んでこそ、皇居前広場だ。裏を返せば、キーナン検事と東京裁判に感謝しない日本人とは、トンデモ反日の極左勢力。国外追放に値する。

 キーナンによって、昭和天皇は、戦前と同じく、皇居の吹上御所に住まわれ続け、四十年に亘り日本国民を見守って下さった。私は、キーナン検事を顕彰すべく、筑波大学に奉職中の1980年代、太平洋戦争の終結からキーナンの来日までの経緯(1945年9月2日~同年12月上旬)をまとめようとしたが、邦文論文は一本もなかった。キーナンは親日の上に王制主義者だったから、大学と学界における日本共産党のキーナン研究を禁止する検閲の厳しさがビンビン伝わってくる。

 なお、私のこの論文の中心テーマは、aキーナンを首席検事に選んだのはトルーマン大統領か、bマッカーサー元帥か、c国務省のグルーか、を確定すること。次に、キーナンがアレグザンダー・ハミルトン級の王制主義者になったその生い立ちとその切磋琢磨した学問を知りたかったからだ。

 裁判官による判決の方だが、日本では共産党系と民族系とは連合して、昭和天皇を守り通した東京裁判を逆さにして、「東京裁判史観!」と罵声の中傷誹謗を爆発させる。平泉澄の信奉者である小堀桂一郎はこの筆頭。が、座右の書のトップはルソー『人間不平等起源論』だと自ら公言するように、小堀は純度100%の共産主義者で、ロベスピエールに優るとも劣らぬ血塗られた天皇制廃止or天皇殺しドグマを奉戴している。拙著『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』第八章は小堀を解剖。なお、小堀桂一郎のレイプ事件は十件を超えており、警察に逮捕されなかったのは現代日本の謎。

 江藤淳は、1960年に離党届を共産党に出した。が、大江健三郎や中野重治との友人関係を切らず、50%共産党員を続けた。そして、共産党の立場からGHQを罵り、東京裁判を愚弄してきた。江藤淳の『1946年憲法 その拘束』(1980年、諸君)、『靖国論集』(1986年)、『閉ざされた言語空間』(1989年)、『忘れたことと忘れさせられたこと』(1995年)などは、その一端。福田恒存や私が「江藤淳は共産党の犬!」として蛇蝎と嫌うのは、民族系の白い上着を着て赤い共産党員であり続けている詐欺師的な、江藤の人格を問題にするからだ。

 そして、問題は高市早苗。高市は、靖国神社の神官たちと同じく、このような隠れ共産主義者の小堀桂一郎や江藤淳から大きな影響を受けている。高市早苗は、二つの共産主義の系譜から二重に洗脳されて、共産主義思想にどっぷり浸かったようだ。高市を洗脳した第一の共産主義ルートは、「松平永芳/美山要蔵/青木一男→靖国神社の神官→高市」。高市を洗脳した第二の共産主義ルートは「小堀桂一郎/江藤淳/櫻井よし子→高市」。なお、北朝鮮人でKGBロスケ櫻井よし子は、日本共産党秘密党員で、純度100%の過激な共産主義者。

第二節 虚構の大東亜戦争を大妄想する“知性・知識ゼロ”高市早苗──「二千万日本人男性」殺害も目的だった大東亜戦争を礼讃する高市早苗の狂気

広島原爆慰霊碑の碑文が語る、大東亜戦争“全否定”は戦後日本人のコンセンサスだった

「東京裁判を知らない/大東亜戦争を知らない」高市の無知蒙昧のレベルは、批判することが困難なほどひどい。大東亜戦争の戦争目的は、①昭和天皇を殺害し天皇制廃止を図る、②日本国の男児十五歳から五十五歳までの二千万人を戦死・戦場死・餓死させてソ連軍様の日本進駐を無血になるようにする、③ソ連軍の日本列島占領(=ロシアへの日本列島の献上)と同時に日本国を共産国化する、④支那全土を毛沢東の支配下に置くべく蒋介石を確実に殺害する(中華民国の消滅)等。

 が、高市はこの歴史事実を百八十度逆にし、「大東亜戦争は祖国を守るために戦った」という荒唐無稽な大妄想をデッチアゲる。高市によれば、蒋介石が日本列島に攻め込んできたらしい/1941年12月8日、日本は米国領パール・ハーバーを奇襲せず、米国の方がB‐29で東京を空襲したらしい。

 金日成から(当時の金で)一千万円をもらって林房雄(偽装離党のスターリン狂徒)が書いた『大東亜戦争肯定論』が番町書房から出版される1965年以前、大東亜戦争否定論が日本国民の95%以上の常識だった。1952年8月6日に除幕された広島の原爆慰霊碑の碑文「過ちは繰返しませぬから」は、これを象徴していよう。

 この碑文は広島市長・浜井信三に依頼された、英文学の広島大学教授・雑賀忠義が英語で「We shall not repeat the evil」と書き、それを「過ちは繰返しませぬから」と邦訳した。Weは「日本」の事だから、the evilは「大東亜戦争」となる。即ち、広島に投下した米国の原爆については不問。核兵器を悪とする今日の日本人には、なかなか理解し難い感覚だが、私には懐かしい当たり前の感覚が蘇る。私が初めて「原爆は悪」と聞いたのは1956年4月で、小学六年生だった。

 雑賀教授も浜井市長も、当時の絶対多数意見「大東亜戦争は日本民族“皆殺し”のトンデモ戦争だった」を共有していた。すなわち、ヒロシマ原爆があったから昭和天皇の8・14御聖断となり本土決戦がなくなり命が助かったと、ヒロシマ原爆に感謝するとともに、「対英米戦争など、もうこりごりで二度と致しません」が、1956年8月までの日本国民のほぼ全員のコンセンサス。碑文の「過ち」が“大東亜戦争を遂行したこと”を意味するのは、このような当時の日本人の多数派常識において明らか。雑賀教授も、消極的にだが、誰かの質問にそう認めている。

 このことは、浜井信三・広島市長の1947年8月6日の広島平和祭での演説に露わに表現されている。浜井は「ヒロシマ原爆が大東亜戦争と本土決戦を断念させ、日本国民は本土決戦で殺されずに済んだ」「故に、ヒロシマ原爆は不幸中の幸いだった」と、ヒロシマ原爆に感謝を捧げている。これ、昭和天皇を初め、当時の日本国民95%以上が抱いていたごく普通の感覚。浜井市長の演説と分析は、拙著『核廃絶は、日本民族“絶滅”』16~8頁を参照のこと。

         

 

東京裁判と靖国「A級戦犯」合祀の原因「大東亜戦争」に、極度に無知蒙昧な高市早苗

 高市早苗とは、東京裁判と靖国「A級戦犯」合祀に関する知識が一切ない“無知の極み”。高市早苗はまた、東京裁判と靖国「A級戦犯」合祀の原因たる大東亜戦争に関しても度はずれに無知。

 要は、高市とは、表3にまとめた、大東亜戦争“全否定”の昭和天皇/吉田茂/幣原喜重郎/中川八洋らとは真逆の思想の持主。表3は現代史学界の常識だが、誰一人として発表しないから、学者ではない高市早苗が、表3を見たことがないことには同情する。が日本人なら、昭和天皇がどのような大東亜戦争史観をお持ちであったかについては、知っていなくてはならない。

 昭和天皇の大東亜戦争史観は、その根底にある「反共/反ロ/反ナチ/親英米」から、(ドイツと同盟しソ連と中立条約を締結し英米に開戦した)大東亜戦争を“全面否定”するものになるのは、誰にでもわかるはず。即ち、大東亜戦争を肯定する高市早苗は、自分の歴史観が昭和天皇とは真逆(正反対)であることを認識できたはずだ。少なくとも、無意識であっても何とはなく認識したはず。この認識を高市が意図的に有耶無耶にしているのは卑怯で狡猾。

 私は、偶然に、畏れ多くも昭和天皇と寸分の相違もなく全く同一の大東亜戦争“史観”を有している。ために私の著作は、昭和天皇の御聖旨を活字にしたとも言え、そう指摘する日共系の学者もいる。実際に、拙著『近衛文麿とルーズヴェルト』『昭和天皇と靖国神社』は、《昭和天皇の代弁?》と解釈されることが偶にある。私の著作に関し、現代史学界でのこの理解は間違いではない。

表3;大東亜戦争を否定し東京裁判に感謝する正しき日本人ばかりだった1960年代までの日本

大東亜戦争“全否定”

昭和天皇/国民の九割以上/吉田茂/幣原喜重郎/中川八洋/竹山道雄/曽野明/林健太郎/勝田吉太郎/浜井信三(広島市長)/石原莞爾/多田駿/・・・

東京裁判“感謝”

昭和天皇/国民の九割以上/中川八洋/磯田光一/・・・

広島原爆“支持”

昭和天皇/国民の九割以上/浜井信三(広島市長)中川八洋/・・・

反共・反ロ・反ナチ

昭和天皇/吉田茂/中川八洋/曽野明/来栖弘臣/春日一幸/根本博/山本勝市/三田村武夫/松原正/・・・。(備考)法眼晋作は、反ロ・反ナチで反共なし。

親英米

昭和天皇/吉田茂/幣原喜重郎/中川八洋/曽野明/栗林忠道/牛島満/寺崎英成/山梨勝之進/竹田五郎/・・・

(備考)ここで列挙した名前は、活字や資料で確認できたものに限った。ために、かなり少ないことをご了解して頂きたい。例えば、谷沢永一が大東亜戦争否定論なのは、私との会話から明らかだが、彼の書いたエセーに発見できなかったので、リストしなかった。

 大東亜戦争が②昭和天皇を銃殺し天皇制廃止を戦争目的としていることについて、“天才大帝”昭和天皇は、1941年12月の日米開戦より前に感知されていたようだ。このことは、『昭和天皇独白録』を読むと、激しい疼きを伴って瞬時に伝わってくる。また、大東亜戦争の戦争目的の一つは①日本民族の絶滅を目指すことだったが、これも“天才大帝”昭和天皇は十全に察知されておられた。昭和天皇の「8・14御前会議での《御諚》」は、この証拠の一つ。

 すなわち、高市早苗が、大東亜戦争の戦争目的「①日本民族の絶滅を目指す」「②昭和天皇を銃殺し天皇制を廃止する」を知らないとすれば、この無知は、高市が日本国民としての自覚も精神も欠く、堕落した知性喪失から生じている。また、高市の論理思考力が幼稚園児以下で劣悪・劣等すぎるためである。そもそも、大東亜戦争の最終段階の戦争方針「本土決戦」と阿南・平泉一派の「8・14宮城クーデタ」を思い出すだけで、戦争目的①②など誰でも頭に浮かぶだろう。

 さて表4は、本土決戦に対する推進派と反対派のリスト。高市は大東亜戦争の全てを“日本国の防衛だった”と肯定する見解に立つから、当然、大東亜戦争を終焉させて敗北を受け容れる本土決戦「反対」派を拒絶的に抹殺する。即ち、高市は表4の昭和天皇を拒絶し、昭和天皇の御聖断にノーを突きつける。

 ご聖断への拒否は、阿南惟幾らの天皇を監禁or銃殺する「8・14クーデタ」の支持になるから、高市は昭和天皇“殺し”を是と考えていることになる。皇帝殺しのレーニンやメンギスツと同一タイプの血塗られたテロリストが高市早苗の本性ということか。

表4;日本民族“皆殺し”の本土決戦を絶賛し、本土決戦反対の昭和天皇を憎悪する高市早苗

「本土決戦」反対

昭和天皇/田中静壱/森赳(近衛第一師団長)/畑俊六

「本土決戦」推進

種村佐孝/阿南惟幾/平泉澄/美山要蔵/松岡洋右/近衛文麿/大西瀧治郎

(備考)本土決戦とは、ソ連軍を同盟国軍の名目で日本国を占領させ、日本がソ連国の奴隷となって米国と戦争すること。阿南惟幾らは二千万人以上の一般日本国民が戦死/戦場死/餓死で死ぬと計算していた。

 本土決戦とは、阿南惟幾・陸軍大臣や陸軍軍務局では、七千万日本人の全人口の中、15才から55歳の男児二千万人全員の死亡はやむなしと考えていた。が、実際には女子供の方がこれよりはるかに多く死ぬのが本土決戦。例えば、15歳以上の女性に竹槍の訓練をして上陸した米軍の機関銃や戦車部隊に突っ込ませて犬死させる準備は、この一つ。一般男性には、機関銃やB29が投下する爆弾と戦えと、支給する銃などもはや全くないので、斧や鉈や鳶を振り回す訓練をさせた。

 これら銃後の武器無き民は、戦う前に全員死亡する。本土決戦をすれば、死者数は確実に四千万人程度になる。昭和天皇と田中静壱・陸軍大将は、このことを深く憂慮。ところが、高市早苗は、人口七千万人のうち四千万人が死に至る本土決戦に、やんやと拍手して支持を表明。京アニの殺人鬼・青葉真司を百万人束ねても、血に飢えた日本版ポル=ポト悪魔・高市早苗には及ばない。

表5;昭和天皇“暗殺”(未遂)の「8・14宮城クーデタ」を歴史から抹殺する高市早苗

「8・14クーデタ」阻止者

田中静壱/森赳のたった二名。

「8・14クーデタ」実行者

阿南惟幾/平泉澄/美山要蔵ほか約二十名。松岡洋右も。注を参照。

(備考)過激派の松平永芳が仏印サイゴンではなく、横須賀など東京近郊の部隊配属なら、このクーデタに確実に参加している。この場合、上官の命令に背き昭和天皇に発砲したかも知れない。

(注)拙著『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、220~42頁を参照のこと。

大東亜戦争の戦争目的は③ロシアに日本領土を献上し、④支那本土を毛沢東支配に赤化すること

 大東亜戦争を1937年7月に開戦した近衛文麿のIQは高く、おそらくヒトラーやスターリンと遜色はなかっただろう。だから近衛には、戦争の数年後がいつも鮮明に見えており、③日本の領土の多くがソ連に併呑・編入されるのを確信していたし、④支那全土が蒋介石の中華民国から毛沢東の中共に替わっていることも的確に予見していたようだ。

 ③は日本国の死滅だが、これこそが、1918年頃に早々とコミンテルンの工作員になり、1930年代にはベリアと直接繋がるNKGB工作員になった近衛文麿のアジェンダだったろう。また、1937年7月7日の盧溝橋事件の発生と同時に、それをもって、④という壮大なる計画を構想したのは、近衛のIQが驚異的なレベルだったことを示す。

 ポツダム宣言とヒロシマ原爆が昭和天皇の御聖断を早めて、近衛の予定は狂い、ロシアに奪われた日本領土は、表6のようにスターリン/近衛文麿の謀議より十分の一以下になった。ポツダム宣言とヒロシマ原爆が、日本に幸運をもたらしたのだ。日本を救ったのは昭和天皇を別とすれば、米国トルーマン大統領。時折、私は『トルーマン回顧録』を神棚に捧持し、二礼二拍一礼している。

表6;日本国領土・準領土のソ連“譲渡”を「国を守った」と詭弁する“対ロ売国奴”高市早苗

③ソ連に編入された日本国領土

南樺太、北方四島、クリル諸島、朝鮮半島北部、満洲

 ロシアを日本国領土に侵略させ、それをロシアに奪取させる行為は、まさしく刑法外患罪の犯罪。“スターリン代理人”近衛文麿とその協力者たちを死刑に処さねば、日本国は法治国家に回帰できなかったはず。即ち、戦後日本は、国際法から日本の祖国叛逆者達を裁く方は、米国の東京裁判に委ねても、国内法(一般刑法、陸軍刑法、海軍刑法)をもって、大東亜戦争の戦争目的③を遂行した犯罪者たちを裁くことを避けるべきではなかった。

 例えば、大本営政府連絡会議(1938年1月15日)で、近衛が独断専行して半年前に始めた対支那戦争を終了させる独トラウトマン工作を受諾するか否かで、対支那戦争の終結を強く主張した多田駿・参謀次長を罵倒してこの最後の終結チャンスを潰した、近衛文麿/廣田弘毅/杉山元/米内光政/武藤章の五名を陸軍刑法(1948年末に一時的復活の特例法を立法)で死刑に処しておくのは当然だろう。つまり、東京裁判の廣田/武藤の死刑は、国内法に照らせば極めて妥当なのだ。

表7;ソ連の満洲侵略を熱烈歓迎するのか、高市早苗は日中戦争拡大派が大好き

ソ連の満洲侵略を危惧し日中戦争反対(1937・7~トラウトマン和平の1938・1)

支那全土を毛沢東に制覇させたい“スターリンの犬”達が拡大・推進した蒋介石殺害戦争(~1938・1)

石原莞爾(参謀本部作戦部長)、多田駿(参謀次長)、今井武夫(盧溝橋事件を四日後の7月11日に現地で解決した陸軍将校)

近衛文麿(NKGB)廣田弘毅(外務大臣、GRU)武藤章(参謀本部編成動員課長、毛沢東崇拝)、杉山元(陸軍大臣、ただの強硬派)、米内光政(海軍大臣、GRU)

 要は、A級戦犯で死刑になった廣田/武藤の罰を重すぎると難じる高市の視点には法的正義が欠如し“無法”が躍っている。この多田駿つぶしで、その後、陸軍の兵力を支那本土に数十万人規模で七年半も展開せざるを得なかった。この結果、数年後の満洲防衛の兵力が大幅に減り、一般邦人三十五万が殺され、シベリア連行百七万のうち六十万人が死亡する羽目になった。支那戦線でも四十万人という日本人男児の命が散華した。

 日本人135万人(=35万+60万+40万)を殺すに至る、1938年1月時点の殺人鬼「近衛/廣田/武藤/杉山/米内」に対し絞首刑百回を加罰しても軽すぎるだろう。いや、それ以上に、多田駿つぶしが日本国の生命線たる満洲という準・日本国の領土を「ロシア→毛沢東の中共」に献上した。この事実において、この五名はまさしく一般刑法の外患罪で死刑に処さねばならない。とすれば、米内光政を死刑にしなかった東京裁判とは、実に杜撰で甘すぎた裁判だったことになる。

(注)近衛と杉山は1945年中に自殺。参考文献に堀場一雄『支那事変戦争指導史』など。

 東京裁判の判決は、日本国の国内法に照らし余りに「甘い、甘い、甘い」が特徴。“勝者の報復”という側面など全く存在しなかった。東京裁判は、キーナンが主演する「昭和天皇の聖性を守り日本の国体を護持するための舞台」だった。東京裁判が七名を死刑に処して、「ヒロヒトを死刑に!」と激昂する米国の世論を鎮静化する演出に終始した形だけの裁判になったのは、マッカーサーとキーナンの日本愛からである。トルーマンの超・親日が、これを可能にした環境を造ったからである。

靖国神社は今後、A級戦犯をどう処理すべきか──日清・日露戦争の英霊と大東亜戦争の特攻隊だけを祭神とし残りは分祀。“祖国叛逆の大逆賊”阿南惟幾/山本五十六らは靖国から“追放”。A級戦犯の靖国追放など議論以前

 靖国、靖国と騒ぐ高市早苗には、重大に懸念すべきことがある。彼女の奥底には“共産主義者の日本呪詛”が蠢いているからだ。A級戦犯の合祀は、三匹のロスケ共産主義者「松平永芳/美山要蔵/青木一男」が、天皇制廃止という凶悪な共産革命の情熱から《昭和天皇への嫌がらせ》として強行したもの。なのに、高市は、この三匹のロスケ共産主義者に共鳴し賛同している。高市早苗は、自分が熱烈な親ロ狂であることは隠していないが、隠れ共産主義者で日共系の天皇制廃止“狂徒”であることの方は隠している。この問題、本稿では紙幅が足りなくなった。さらなる考察は次稿で。

(2026年1月4日記)

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