人類に戦争と災禍を齎す“血塗られた麻薬”ノーベル平和賞は即時に廃止されるべきだ──被曝者ゼロ人の“共産党の革命組織”被団協の「平和賞」受賞で、中・露・鮮の核兵器に一億日本人が焼殺される“日本の終末”は近い

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筑波大学名誉教授  中 川 八 洋                           

 受賞者を見れば一目瞭然だが、ノーベル平和賞は、ロシア第一総局&第二総局が選別した者を追認して授与している。この原因にはいくつかある。“選考委員五名+書記一名”は、ノルウェー国会が選ぶが、ノルウェー国会の第一党は労働党で、社会主義者・共産主義者が過半を占めていることも、この原因の一つか。

 それだけでなく、ロシアKGB第一総局&第二総局が推薦した者が受賞者の半分を占めている異常は、もっと大きな隠されたメカニズムの存在なしにはあり得まい。が、本稿では、この分析は割愛。尚、上記の選考委員会の事務局は、オスロにあるノルウェー・ノーベル研究所???

第一節 ノーベル平和賞の選考はロシアKGB第一総局(SVR)が完全支配

 ノルウェーはNATO加盟国で、米国の核の傘をもって国家の安全保障政策の根幹にしている。つまり、ノルウェー国は“核廃絶”を国是とはしていない。なのに、ノルウェー政府が間接的に関与しているノーベル平和賞の受賞者に、核廃絶運動を選ぶ傾向が顕著。この矛盾する行動は、日本によく似ている。日本は、米国の“核の傘”に依存しながら、日本共産党の核廃絶の革命運動を、財政的にもそのレーゾンデートル強化にも、ふんだんに支援している。

 ノルウェーのノーベル平和賞と日本の反核運動は、自由社会ひいては世界の平和を脅かしている。世界の平和にも日本の平和のためにも、ノーベル平和賞の廃止と“共産党の下部団体”被団協の強制解散を断行すべき時にある。

 さて、戦後のノーベル平和賞は、反核運動や核廃絶運動や共産主義者/KGBロスケを英雄視する授与になっている。表1と表2のほぼ全員はこれに当たる。世界の自由と平和と科学を破壊した“反・平和の有害人士”達ばかりではないか。

表1;自由社会の核廃絶に限定した、ロシア/中共「核恫喝」代弁の「平和賞」選考

1962年

ポーリング

原水爆禁止/核実験禁止の運動家。化学者。

1974年

佐藤栄作

1972年の核抜き沖縄返還と非核三原則の閣議決定に対するロシアのご褒美。佐藤栄作は、この二つでノーベル平和賞だと1972年時点、確信。どうして二年前にそう確信できたのか。

1985年

核戦争防止国際医師会議

ソ連軍のアフガン侵攻に対抗して米国がタシケント等に核攻撃しないよう、キャンペーンさせる目的で、ブレジネフが1980年に創った。仮にレーガンがアフガン「兵士」にスティンガーなどの火器を供与しなかったら、ソ連はホルムズ海峡を侵攻占拠している。ロシアの侵略のための対米牽制プロパガンダ団体=戦争拡大のための拡声器のどこが平和に貢献したのか。

1995年

パグウォッシュ会議

フルシチョフが創った米国の核戦力の増強阻止と対ソ核戦争先制使用を躊躇わせるための核戦争反対運動。第一回(1957年)の会議場がカナダのパグウォッシュ。日本被団協もフルシチョフの命令で日共が創設。ベトナム戦争は米国が核を使用しないと踏んで、フルシチョフが推進。ノルウェーは、パグウォッシュ会議がアジア共産化に貢献したのを讃えて「平和賞」を授与した。

1995年

J・ロートブラット

英国/ポーランド二重国籍の核廃絶運動家。

2002年

ジミー・カーター

米国では珍しいマルクス・レーニン主義の共産主義者。イランのパーレビ国王を追放したように、過激な王制廃止論者。この行動はJ・ワシントン以来の米国の伝統に違背。また、異常な核不拡散主義者。日本の濃縮ウラン工場“潰し”の執念は猛炎で、その粉砕に日本政府代表の私は大変苦労した(1979年)

2009年

バラク・オバマ

マルクーゼ系の共産主義者。核廃絶“狂”。シリアの化学兵器使用に対し、軍事的懲罰をすべきとした国防省を抑え、それをしなかった臆病チキン。憧れの地ヒロシマにウキウキと訪れた。

2017年

核兵器廃絶国際キャンペーン、ICAN

核戦争防止国際医師会議を母体として、プーチンが創った。2007年初頭、プーチンはそれまで丸七年間にわたる親米/親NATO演技をかなぐり捨てた。対外侵略を再開するに当り、米国の“核使用”を牽制するプロパガンダ組織として世界の極左NGOを集合させたもの。日本からピース・ボートが参加している。

2024年

日本被団協

ビキニ環礁の被曝を契機に、フルシチョフと日共が反米闘争の手段として創設した。米国の核抑止を無力化するのが主目的。これらの効果もあり、ソ連はベトナム戦争をやりたい放題。

 

表2;「共産主義者&KGBロスケ&ロシア侵略準備」を礼讃・協力する「平和賞」選考

1953年

J・マーシャル

国務長官時代、毛沢東と通じ蒋介石を支那から追放する策謀に終始したGRU工作員。陸軍参謀長時代、樺太とクリル諸島へのソ連の侵略に相当便宜を図った。西欧に対するマーシャルプランは、アジアにおける“ソ連の犬”を隠蔽する偽装政策。

1960年

ルツリ

南アのアパルトヘイト批判。KGB“お雇い”共産主義者。

1964年

キング牧師

キングは共産主義者でKGBロスケ。暗殺がキングを美化した。何とも愚かしい暗殺だった。

1971年

ウィリー・ブラント

“KGBロスケ”ブラントはソ連との対峙を殊更に避け、ソ連の西欧侵攻態勢づくりに全面協力。私は1966年8月、ブラント西ベルリン市長から昼食を奢ってもらった時、ブラントに「ソ連には軍事力=拳を振り上げ続けていない限り、攻めていいよ、のメッセージになる」と、東方外交“危険”論をぶったことがある。

1973年

キッシンジャー

永年、大宣伝してきたKGB語「相互確証破壊」につき、1979年夏(12月末のアフガン侵攻の前)、「世紀の奇論でした。ごめんなさい」をブラッセルで演説。キッシンジャーは、核戦争恐怖症のニクソン大統領を騙して、露中分断が可能と妄想させるべく、ダマンスキー島で八百長中ソ衝突を演技した(周恩来とコスイギンが協力)。また、南ベトナムを北ベトナムに献上すべく、レ・ドク・トと「和平」を合意した。かくも世界共産化一辺倒のキッシンジャーがどうして「平和賞」??? 「ノーベル戦争賞」ではないか。

 同

レ・ドク・ト

キッシンジャーとパリで和平協定を締結(1973年1月)。が、これ、北ベトナムの南ベトナム侵略を完成させる罠。1975年4月、サイゴン陥落。ノルウェーは、平和賞を「侵略促進賞」と正しく名称変更せよ。ノーベル平和賞で真面なものはほとんど存在せず。

1983年

レフ・ワレサ

1983年、アンドロポフは、米国との核戦争を回避すべく《1989年に東欧解放》を決意。が、「東欧諸国が独立運動を起こす」「ロシアは寛容にそれを認めた」(ロシアが米国に敗北・退却したのではない)と嘘を世界に流す演技で行えとKGB第二総局に命じた。ポーランド独立「英雄」を嘘演技する俳優にワレサを起用。ノルウェーはアンドロポフに協力し、「平和賞」をワレサに六年前に授与。ポーランド国民が「ワレサはソ連の犬」と知ったのは、ワレサがポーランド大統領を引退した後。ポは国挙げて切歯。

1984年

デズモンド・ツツ

南アの聖公会司祭で反アパルトヘイト活動家。南ア白人政府に対する国連の“憎悪”を燃え立たせた。アパルトヘイトで平和で自由に満ちていた南アを、血腥い共産主義的社会に転換した立役者の一人。南ア黒人は幸福になったのだろうか?

1987年

オスカル・サンチェス(コスタリカ)

超・空想の「永世非武装中立」をほざいた、中米の共産主義者。夢想家。

1990年

ゴルバチョフ

東欧解放は、レーガンの対ソ核包囲にロシアが恐怖した結果。東欧解放でノーベル賞を受賞すべきはレーガンだろう。が、逆にゴルバチョフになった。ゴルバチョフが共産主義者だからだ。

1993年

ネルソン・マンデラ

ソ連が育てた共産革命家で暴力至上者。南アは、マンデラにより一気にロシア圏。南アはプーチンのウクライナ侵略を大応援。

1997年

地雷禁止国際キャンペーン

ロシアと中共が創ったトンデモ団体。カンボジアを埋め尽くした対人地雷は全て中共製。これを日本などがどうして代わって除去するのか。また、2022年からウクライナにロシアはふんだんに対人地雷を撒布している。ウクライナで多くの子供が対人地雷で足を失った。ノルウェーは「平和賞の罪」で賠償されたい。

ジョディ・ウィリアムズ

地雷禁止から核兵器廃絶まで何でもやる、良心なき共産主義者。ウクライナのロシア製対人地雷について一言も語らない。

1999年

国境なき医師団

1971年にブレジネフが創設。参加している日本人医師は全員、共産党員。黒い噂が絶えない。カルト宗教団体的な運営。

2007年

アル・ゴア/気候変動の政府間パネル(IPCC)

地球温暖化CO2説は、1988~97年、ロシアKGBが捏造した非科学の“世紀の大虚構”。私は、2006年6月、このテーマで学術論文を上梓。が、未発表だったのを今般、初めて気が付き、我ながらビックリ。さて、問題は、気候学という科学の領域に政治である平和賞が参入すること自体、あってはならない。しかも世界の著名な科学者の多くが、「地球温暖化CO2説」を否定している。IPCCと「平和賞」選考委員会とは、KGB第一総局の支配下にある。身内同士の八百長授与が真相のようだ。

 

表3;真面な「平和賞」は僅か──アリバイづくり用だから「ほんの少し」

1986年

エリ・ウィーゼル(ユダヤ人)

ホロコースト体験の語り部

1989年

ダライ・ラマ14世

中共のチベット侵略・破壊に抗し“チベットの自由”回復

1991年

アウン・サン・スーチー

ミャンマーの軍事独裁政権との“自由復権の闘い”

2003年

シーリーン・エバーディー

女性弾圧のイランのイスラム原理主義体制“批判”

2010年

劉暁波

中共・共産党の共産全体主義“批判”

2014年

マララ・ユスフザイ

「女性に中等教育不要」のパキスタン・タリバンに銃撃。

2023年

ナルゲス・モハマーディ

女性弾圧のイランのイスラム原理主義体制“批判”

 

第二節 “悪魔の共産革命組織”被団協を解体し共産党を“非合法化”!

 日本が八年間の“祖国叛逆”大東亜戦争と決別でき国家生存を守れたのは、四つの神風が、1945年7月~8月の一ヶ月間に限り、日本に吹いてくれたからである。四神風とは「ポツダム宣言/ヒロシマ原爆/昭和天皇のご聖断/田中静壱・陸軍大将の捨身の8・14宮城クーデタ―鎮圧」のこと。

 そして、マッカーサーGHQの進駐によって、日本は暗黒の全体主義から、日本国を復権することができた。特に、大東亜戦争の戦争目的は昭和天皇を銃殺し天皇制廃止だったから、これを阻んだ、この四神風への恩義を、日本は忘れてはいけない。

 1937年7月7日にスターリン狂徒・近衛文麿が独断専行で始めた大東亜戦争は、八年を経た1945年8月、二千万人の日本国民を皆殺しする本土決戦=一億玉砕に突入する寸前であった。そして、日本では、1956年までの日本国民は皆、「ヒロシマ原爆+ご聖断」が日本を救ったと、この二つへの感謝を共有していた。ヒロシマ原爆に対する非難は、1950年3月、日本共産党が初めて行った。が、一般国民は、この共産党に対し厳しく嫌悪。ほとんどが共産党を敵視した。

 1952年8月6日に除幕式があったヒロシマ原爆慰霊碑に、原爆や原爆を投下した米国を非難する言葉・ニュアンスが一欠けらもない碑文「過ちは繰り返しませぬから」が刻まれたのも、当時の日本には、原爆を非難する考えが微塵もなかったからだ。ヒロシマ原爆のお蔭でご聖断となり、戦争から解放され、「死なずに済んだ」「子供を産むことができる」が、当時の全国民のコンセンサス。

 尚、この碑文は1952年7月、広島大学英文科教授・雑賀忠義が英語で原文を書き邦訳。英語原文は、「We shall not repeat the evil」。Weだから、これ「We the Japanese」と同じ。訳せば「われわれ日本国民は」である。「日本国民が繰り返さない」からして、その目的語は、大東亜戦争or対英米戦争。即ち、「日本国民は、対英米戦争(大東亜戦争)は二度と致しません」が正確な文意。

 ところが、スターリンを崇拝するGRUのインド共産党員パル判事は、1952年11月5日、この碑文を読んで、「アメリカ人の手は清められていない」と、お門違いのコメントを残している。当時の日本人は、原爆を投下してくれた米国に感謝していた。が、スターリン狂徒で反米狂パル判事は、それを逆さに解釈。靖国神社にあるパル判事「顕彰碑」は、ハンマーで打ち砕き赤ペンキをぶっ掛けて東京湾に捨てよう。

 1947年8月6日、最初の広島市長(浜井信三)「平和宣言」演説があった。が、次のように、米国の原爆投下に素直に感謝を捧げた。しかも、「原爆投下が世界平和を招来した」とまで称讃した。

「世界初の原爆によって、広島市は一瞬にして潰滅に帰した。しかしながら、これ(広島原爆)が戦争(対英米戦争)の継続を断念させ、不幸な戦争(大東亜戦争)を終結に導く原因となったのは不幸中の幸いであった」

「この意味において、8月6日(の米国の原爆投下)は、世界平和を招来(第二次世界大戦を終結)せしめる機縁を創ったものとして、世界人類に記憶されねばならない」。

(補遺) 戦後すぐ九割の日本人は「大東亜戦争否定論」。それなのに一気に少数意見に。なぜ?

 昭和天皇も首相の幣原喜重郎/吉田茂も大東亜戦争否定論。が、戦死した遺族や未帰還者の遺族に配慮し、大東亜戦争を公然とは断罪しなかった。また、「大東亜戦争は、スターリン命令のアジア共産化/日本共産化の共産革命だった」とも口にしなかった。戦後直ぐの大東亜戦争否定論に竹山道雄『ビルマの竪琴』がある。が、これ、少年用の小説で、直截表現ではないから影響ゼロ。

 一方、共産党は、偽装離党の毛沢東系コミュニスト林房雄に『大東亜戦争肯定論』(1963~5年)を書かせ、大東亜戦争否定論“潰し”を開始した。共産党員・田中正明が書いた、GRUパル判事を美化する『日本無罪論』1963年もこの一つ。特に、GRUの“スターリン狂”美山要蔵/松平永芳(靖国神社宮司)コンビの“A級戦犯合祀”は(1978年)、大東亜戦争“聖戦”化(=スターリン神格化)が目的。A級戦犯“靖国神社合祀”は、日本国への大叛逆「スターリンのソ連こそ“日本の祖国”」だと喝破されたのは“天才”昭和天皇お一人。拙著『昭和天皇と靖国神社』を参照のこと。

 戦後世代がどっと引退した1984年頃以降、大東亜戦争否定論は中川八洋一人になった。日本は、1928年にロシアの張作霖爆殺で肩代わり犯人(河本大作)をスターリンに献上して以来すでに百年、“ロシアの属国”or“ロシアの奴隷国”であり続けている。

米国の原爆投下に対し日本人が《感謝》から《憎悪》に180度逆に変化していく初年が1956年

 1950年3月から開始した日本共産党の「原爆反対!」運動は、日本国民から総スカンを喰らって散々だった。そこで、共産党は戦術を変え、共産党の運動ではなく、“原水爆の被害者”の運動かに看板を塗り替えた。日本共産党の、1956年の被団協の設立は、これ。

 被団協が誕生した1956年から、一般の日本国民も、共産党の「原水爆反対」に同情から耳を少しづつ傾けるようになった。「原水爆反対!」への賛同なら、理性が反応しなくてはならない。が、原爆被害者の声は、聴く側では同情から感情に刺さってしまう。人間の真理に精通する共産党の革命運動は超一流。

 尚、被団協が生まれる経緯については、拙著『核廃絶は、日本民族“絶滅”』第一章を必読されたい。そこには、反・科学の野蛮人たちが創った「被爆者手帳」問題も論じられている。

 小学校六年生だった1956年から、1980年代にかけての三十年間、反核運動を観察してきた私が、最も愕然としたのは、1945年から1960年頃までは日本人の意識「日本を救ってくれて有難う、ヒロシマ原爆」が常識だったのに、これが1980年代半ばには百八十度も反転したこと。1980年代の半ばには「日本に原爆を投下した米国め、ケシカラン」が日本国民の絶対多数になっていた。80年代の私は、この反転を慨嘆し溜息を吐いていた。度し難い日本人の劣化・赤化だと怒っていた。

 また、「ヒバクシャは共産党員が動員した嘘演技に長けた犯罪者たち」との1956~1968年頃の日本の保守系知識人の常識は、1970~2年に入ると煙と消えた。1960年代にはまだかなり散見できた、科学「ヒバクシャは、誰一人被曝などしていない」の主張すら、三十年後の1990年以降では、私一人を除き、完全にゼロになった。

「ヒロシマ原爆、有難う」で始まった日本人の核兵器意識やヒロシマ・ナガサキ原爆に対する意識を、コペルニクス的に変革するに、“嘘”被害者を演技する被団協が、(新聞TVや学校教科書に次いで)大きな悪影響を与えたことは、認めざるを得ない。

「被団協のない日本」が世界の平和、“嘘つき犯罪者の巣窟”被団協の即時解散こそ日本の平和

 日本は大妄想「核のない世界」に狂気するのではなく、日本の平和構築に直結する「被団協の無い日本」づくりに邁進すべきである。被団協は、日本民族を中・露・鮮の核兵器で焼き尽くさんとする“殺人鬼たちの革命集団”。恵雅堂が邦訳出版した『共産主義黒書 ソ連篇』を読めば明らかなように、大量殺人鬼レーニンを宗教的に崇拝する共産党員とはまた、大量殺人を教義=宗教告白とする、ジェノサイド狂徒である。

 被団協が詐称する「被害者」はみな、良心も道徳もない共産党員。この事実は、被団協の「被害者」全員が、ジェノサイド狂徒ということ。つまり、被団協の被害者は全員、宅間守であり、青葉真司なのだ。無差別殺人鬼が原爆の被害者づらして、カルト宗教の経文「平和」「平和」を唱えているのが、殺人鬼のカルト教団「被団協」の正体なのだ。統一教会も糾弾され解散されようとしている。ならば、統一教会より日本国民騙し力が一千万倍も凶悪で、日本人殺し力が京アニの青葉真司の百万倍の被団協こそ、解散されるべきだろう。日本は世界平和のために、「被団協の無い日本」を創る責任を果たすべきである。

真に自由ある世界平和に向かい、「核のない世界」ではなく、「共産主義者のいない世界」を創ろう

 放射線に被曝していないのに、「俺様は、ヒバクシャ様だぞ」と踏ん反り返って威張り散らすのは、公金を貪り喰らう公金詐取を合法的に行うためである。共産党員とはレーニンに学んで、良心無き殺人鬼が本性。地球から共産党員・共産主義者を絶滅させる事が、人類の社会に自由と平和を取り戻す確実な方法。これ、自明すぎる事柄ではないか。

 この事はウィグル人やチベット人を殺戮しまくっているのは、原水爆ではなく、「毛沢東→習近平」の中国共産党の独裁政権。ウクライナ人を殺しまくっているのは、原爆ではなく侵略主義文化のロシア民族。中東域で殺戮をしまくっているのは、ISだけでなく、イランにしろハマスにしろアフガンにしろ、全てイスラム原理主義者。即ち、自由と平和は、“悪devilの三者”「共産主義者/ロシア民族/イスラム原理主義のムスリム」を絶滅させる事が先決。核は関係ない。特に、核廃絶運動という“何でも転倒する狂人”共産主義者のいない日本を創らねば、日本は中・露・鮮の核兵器を雨霰とぶち込まれて日本民族も日本国家も死に絶える。

「ノーベル平和賞のない世界」こそ、世界平和への確かな第一歩

 ノルウェーの「ノーベル平和賞」委員会は、“欺瞞と偽善と傲慢(無知)”の腐った脳しかない連中ばかり。だから、彼らは「平和な世界(戦争の無い世界)」が「核の無い世界」とは次元を異にして全く無関係なことを理解できない。これは、仮にウクライナが戦術核兵器を1991年12月にロシアに譲渡せず核保有国であったら、ロシアはウクライナに侵略しておらず「戦争は無かった」ケースを思い起こすだけで十分ではないか。

 が、五名のノーベル平和賞選考委員は、この小学生レベルの思考すらできない。「ウクライナの」が「ウクライナの平和」と同義であることを思慮すれば、核兵器には、「善の核兵器」と「悪の核兵器」があり、人類は「善の核兵器」を称賛し応援し、「悪の核兵器」の廃絶を推進した場合に、世界平和の確率が高まることぐらい、なぜわからないのか。「ウクライナの善の核兵器」を奨励し、「ロシアの悪の核兵器」を許さないことが、“戦争の無い世界づくり”のイロハなのだ。

 要するに、五名のノーベル平和賞選考委員は、絶対真理「“平和愛好国の核兵器”は平和に貢献し、侵略常習国の核兵器は戦争の元凶となる」が解からない。ということは、《世界平和への確かな歩みをするには、まず「ノーベル平和賞のない世界」を実現せねばならない》、になろう。ノーベル平和賞の廃止こそ、世界平和への要諦なのだ。

(2024年10月17日記)

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