「皇位継承は“皇室の家法”に従う」──“皇室尊崇の最高の騎士”マッカーサー元帥の憲法第二条案

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

「第一条 天皇は元首の地位にある」

「第二条 皇位継承は“皇室の家法”に従う」

 これが、マッカーサー元帥がホイットニー民政局長(職業軍人、ジョージ・ワシントン大学ロー・スクール卒、JD)に指示したGHQ憲法の基本骨格「マッカーサー三原則」の第一(1946年2月3日)。このマッカーサー原則第一の英文は、「第一条 Emperor is at the head of the state.」「第二条 His succession is dynastic.」(注1、98頁)。

 憲法学的に最高級のこのマッカーサー案は、ホイットニー直属の運営委員会三人のうち、赤いケーディス陸軍大佐(弁護士、ハーバード大ロー・スクール卒)や過激な共産主義者ラウエル陸軍中佐(弁護士、スタンフォード大ロー・スクール卒、JD)によって、大きく改悪された(備考)。なお、第一条の「象徴」を考案し、また前文を担当した、もう一人の運営委員ハッシー海軍中佐(弁護士、バージニア大ロー・スクール卒)は、小学二年の女子児童のような夢想型の共産主義者だった。

(備考)それでも彼らは王制主義のジョージ・ワシントンが建国した米国人らしく、天皇条項を、憲法の冒頭におく、皇室への最小限の敬意と尊崇を保持していた。日本の共産主義者のような天皇への殺意や憎悪感情は持ち合わせていなかった。

 GHQ憲法に関った極左人物に、邦訳改竄やコッソリ削除(公家制度、爵位の一代に限り使用可など)を独断で行った“隠れ日本共産党員”佐藤達夫がいる。現行憲法第二条が天皇制廃止条項になった主たる原因は、犯罪者・佐藤達夫の暗躍であって、GHQとは言えない。しかし、共産党が牛耳る日本の学界は、佐藤達夫の犯罪を徹底隠蔽。日本の憲法制定史や憲法学は、学問とは程遠い政治運動になっている。佐藤達夫の犯罪隠蔽も日本の憲法学を反・学問にした元凶の一つ。

第一節 憲法第一条「天皇は日本国の元首であり、日本国を代表する」

マッカーサー憲法第一条案「天皇は元首の地位にある」を「象徴」に改悪したハッシー海軍中佐

 マッカーサーの憲法第一条案「天皇は元首の地位にある」を「象徴」に改悪したのは、ハッシー海軍中佐。日本の憲法学界は、「象徴 symbol」の語彙は、英国王を英連邦全体のsymbolとする、英連邦に関るウェストミンスター憲章から採ったのだろうと推定する。が、事実は、ハッシーがロー・スクールでの授業「英国憲法史」から発想。英国では古くから国王をcrownとかsymbolと表現する。

 ハッシーが、語彙「元首」を適切でないと考えたことには、それなりの合理性がある。なぜなら、天皇を「元首」とすれば、「天皇はマッカ-サーGHQ総司令官の下」と定めたポツダム宣言と齟齬をきたすからだ。フォスター・ダレスが吉田茂に口酸っぱく説いたように(1951年1月)、サンフランシスコ講和条約の発効1952年4月28日と同時に、日本はGHQ憲法を全面改正するか、明治憲法に戻すかして、少なくとも第一条を「天皇は日本国の元首である」とすべきだった。

 この問題は、憲法は主権喪失状況下で制定してはならないとの憲法学のイロハを啓蒙する。即ち、憲法第一条が定める「国民主権」に従えば、GHQ主権下に制定された日本国憲法は国民主権に違背するので、その無効は明らかである。

憲法第一条「国民主権」は、フランス革命の革命語。日本の極左人士の要請でケーディスらが挿入

 一方、憲法第一条に居座る赤い異物「国民主権」の挿入経緯については、憲法学界は、その事実や真相を明らかにした。しかし彼らは、この異物を外科手術的に除去すべきとは、決して主張しない。逆に絶賛する。そこで、この除去に不可欠な、有毒異物「国民主権」の混入経路を復習しておく。

 憲法第一条の赤い有害異物「国民主権」を挿入した主犯は、過激な共産主義者ラウエル陸軍中佐。ラウエルに協力した共犯者がケーディスとホイットニー。が、米国では左翼ですらなじみがないフランス革命語「国民主権」がGHQ内で広まった元凶は、日本の過激な共産主義者七名(中心人物は鈴木安蔵)が書いた1945年12月26日発表の「憲法草案要綱」(注1、482~5頁)(注2)。ならば、「『国民主権』挿入の主犯は日本側だった」と言えないか。

 この「鈴木安蔵・憲法草案」は二日後、朝日新聞や毎日新聞などが12月28日付けで報道。すぐさまG-2の翻訳部隊が英文化。これにより1946年1月早々、ラウエルは鈴木安蔵草案を入手。直ちにそれを絶賛する所見を書いた。このラウエル所見をホイットニー民政局長は相当に気に入り、GHQ参謀長R.Marshallに送付。送付日付は、民政局の憲法起草作業開始の一ケ月前、1946年1月11日(注1、26~40頁)。

 私が嘔吐を催す(日共党員の鈴木安蔵がほとんどを書いた)共産革命文書「憲法草案要綱」に感動・絶賛した事実から、ラウエルの極左度は天文学的レベル。どうもラウエルは米国共産党員のようだ?

 この日本人七名とは、労農派マルキスト三名と共産党員四名の混成。うち、英語が堪能な早大教授の杉森孝次郎が1946年1月早々、呼び出されたのか、GHQ本部を訪れラウエルとケーディスに概要説明している。つまり、ラウエルが所見を書いたのは、杉森の説明を聞いた直後。

 共産革命文書「憲法草案要綱」を書いた七名は、呼びかけ人が労農派の高野岩三郎(天皇制即時廃止論者で、鈴木安蔵の「時間をかけて・・・」とは異なる。初代NHK会長)。原案執筆者が日共の鈴木安蔵(1952年から静岡大教授。民族系偽装の百地章は、鈴木安蔵を継ぐその嫡流共産革命家)。志位和夫の日本共産党は、憲法第一条の「国民主権」挿入の功績を永久に讃えるべく、2018年、鈴木安蔵の生家を国登録有形文化財として保存することに成功。

 この七名のうち労農派系の共産主義者は、高野の他、森戸辰男(片山・芦田内閣の文部大臣)と馬場恒吾(読売新聞社長)。日共党員は鈴木安蔵の他、過激レーニン崇拝“狂”の杉森孝次郎、朝日新聞記者出身の室伏高信、読売新聞記者出身の岩淵辰雄。杉森の著作に、今では失笑を誘う、全世界の共産化を願った狂文「共産主義および日本――世界共産党(コミンテルン)」『政経時潮』1949年8月号、等がある。

 鈴木安蔵らの「憲法草案要綱」の一部を以下に列挙する。なお、原文には条文番号はなく私が付けた。ラウエルも条文番号を付けたが、一部に間違いがある。

第一条 日本国の統治権は日本国民より発す。←国民主権のこと

第二条 天皇は国政を親らせず国政の一切の責任者は内閣とす。

第三条 天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る。

第四条 天皇の即位は議会の承認を経るものとす。←代替わりで国会は天皇制廃止を議決できる。

第六条 国民は法律の前に平等にして出生または身分に基づく一切の差別はこれを廃止す。

第七条 爵位勲章その他の栄典は全て廃止す。

第十六条 男女は公的ならびに私的(=夫婦・家族の関係)に完全に平等の権利を享有す。

第十七条 民族人種による差別を禁ず。

第四十八条 皇室費は、一年毎に議会の承認を得べし。

第五十八条 皇室典範は、議会の議を経て定むるを要す。

第五十九条 この憲法公布後遅くも十年以内に、国民投票に拠る新憲法の制定をなすべし。

(注1、482~3頁)(注2)。

 これに対して、ラウエルは、次のように所見し大絶賛した(注1、26~40頁)。

一、「憲法草案要綱」の諸条項は、民主主義的で賛成できる。The Provisions are democratic and acceptable.

一、特段に(推奨できる)左翼的な条項outstanding liberal provisions

・国民主権を認めていること。

・出生、身分、性、人種および国籍に拠る差別が禁止されている。貴族制度が廃止されている。

・皇室経費を含む財政全般に関する支配権が国会に付与されている。←天皇制度を何時でも国会が廃止できるよう、皇室が自律的な生活を営める皇室財産を認めない。

 (他に五項目があるが略)。

 実際にも、GHQ製の現憲法には、鈴木安蔵「憲法草案要綱」から影響を受けた条項が複数ある。露骨にそれを直接援用した例が、現憲法第一条の「国民主権」。これ、鈴木安蔵草案第一条そのもの。現憲法第二条「皇室典範は国会が議決できる」は、その邦語文体からして、佐藤達夫が英文GHQ第二条案を邦訳する際、鈴木安蔵「憲法草案要綱」第五十八条に入れ替えたようだ。鈴木安蔵「憲法草案要綱」は、GHQ民政局だけでなく、日本の内閣法制局にも多大な悪影響を与えた。

 皇室経済法は、鈴木安蔵「憲法草案要綱」第四十八条「皇室費は一年毎に議会の承認を得べし」に影響されたかに思える。が、実際はそうではない。皇室経済法の立法は、米国の国務・陸軍・海軍三省調整委員会のマッカーサー宛「1946・1・11通達(SWNCC228)」(注1、412~38頁)とそれに基づくラウエルの皇室財産ゼロ化策(国家への移管、1946年2月2日、注3)に従って推進された。

 そうとはいえ、鈴木安蔵「憲法草案要綱」第四十八条が通達SWNCC228と酷似することで、鈴木安蔵「憲法草案要綱」は民政局内で高く評価されることになった。

 ところで、SWNCC228の「結論のD‐6」に(注1、416頁)、「一切の皇室収入は、国庫に繰り入れられ、皇室費は毎年の予算の中で国会により承認されるべきである」とある。これ、1946年に入るや、米国政府は、皇室財産全ての国家移管を自明の前提とするようになった。

 グルーが去ったことで、国務省は1946年に入ると、天皇・皇室の“皇室経済の自律”を全く不可能にする“天皇・皇室いじめ”が主流になったようだ。皇室財産を国家に移管し、皇室を自己収入ゼロの無財産とすれば、天皇・皇室は、大蔵省が計上する僅かな毎年度の予算でやりくりする質素倹約の生活を強いられる。これを米国政府は、1946年1月に決定したようだ。なお、超・親日だったグルーは、1945年8月15日の玉音放送を聞き、「これで昭和天皇は戦犯にならずに済んだ」とホッと安心し、この日に国務省を去った。

 GHQ内でも、米国政府内の親日ムードの消滅に呼応して(反日とまでは言えないが)、1946年に入ると、天皇・皇室“飼い殺し”策が、天皇制“絶対護持”の王制主義者マッカーサーに気付かれぬように、(ラウエルら)GHQ中堅層によって秘かに進められた。

鈴木安蔵に操られた赤いGHQ民政局が、マッカーサー原案「憲法第一条」を全く別物に改竄した

 マッカーサーが当初考えていた日本国憲法第一条案「天皇は、元首の地位にある」は、結果として、天皇の尊厳と地位を毀損する「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」という悍ましい条文に貶められた。

 ラウエルと鈴木安蔵の二人がいなければ、日本国憲法第一条がこれほどひどい天皇規定にはならなかった。ラウエルに対しては日本国民はいかんともし難いが、健全な日本人は鈴木安蔵に対し剣を振り上げて斬り殺す精神を持つべきである。この精神への回帰は、今からでも遅くはない。特に、これから憲法第一条を改正するためにも、鈴木安蔵の全てを否定する理論武装を決して怠ってはならない。以下は、鈴木安蔵に関する基礎情報。

 天皇制廃止に狂奔し国民を騙す、日本の共産主義者たちの反・憲法学グループには三つある。

A;日本共産党“反・憲法学者”第一戦線

「(スターリン→河上肇→)佐々木惣一→長谷川正安/杉原泰雄/奥平康弘/園部逸夫/辻村みよ子」

(備考1)戦後すぐの日共の多数派は、宮本顕治が率い、天皇制の即時廃止が絶対方針だった。

(備考2)佐々木惣一が日共党員である事実を日本の憲法学界は今でもひた隠す。近衛文麿が佐々木惣一と特段に昵懇だったのは、佐々木が河上肇の親友で、近衛文麿はこの河上肇の愛弟子だったからだ。

B;日本共産党“反・憲法学者”第二戦線

「(中江兆民→)植木枝盛→鈴木安蔵→静岡大学“共産党員”大量製造工場」

(備考)鈴木安蔵は、彼の草案第59条でわかるように、天皇制廃止を早くても十年後、それが無理なら昭和天皇の崩御をもって完遂することを考えた。日共の野坂参三らは、この案に与した。

C;「ルソー/フランス革命」原理主義(ルイ16世“ギロチン萬歳”狂のカルト教団)

「上杉慎吉(注4)→宮沢俊義→樋口陽一→・・・・・」

 以上のほか、日共は、民族系偽装の秘密党員“憲法学者”を駆使して、産経新聞と日本会議を操ってきた。麻生太郎を誑かし続けた百地章や、菅義偉の股肱之臣の八木秀次は、この代表。

 上記ABCは、「日本では憲法学者90%は日共党員。共産主義者で括れば、宮沢俊義一派が加わるので、憲法学者の99%が共産党員・共産主義者」という深刻な情況を明らかにする。日本共産党が、A宮本顕治系とB野坂参三系の二グループに分かれたのは、Aの共産党多数派は戦後すぐから「即時天皇制廃止」を闡明したのに、鈴木安蔵らは“時間をかけた緩やかな天皇制廃止”論という路線の相違。が、天皇制廃止の目標で、両者には一㍉も差異はない。

 神武天皇ら初期天皇九代を紙上テロルした古代史の津田左右吉は日共党員で、天皇“操り人形”論者。津田左右吉は、戦後すぐ、雑誌『世界』に“人民が選出した天皇”という「人民主義天皇制度」を提唱した。野坂参三は津田と似て、1965年、鈴木安蔵を中核に据えた「憲法改悪阻止各界連絡会議」を設立し、月刊誌『憲法しんぶん』を発刊した。このグループに参加した憲法学者は、土井たか子の恩師・田畑忍(同志社大教授、非武装中立論)だけだった。1970年代までの日共は即時天皇制廃止派が絶対多数。鈴木安蔵らの「時間をかけた(or代替わり時の)天皇制廃止論」は少数派。

 しかし、昭和天皇が崩御され今上の上皇陛下が践祚・即位(1989年)という現実を見れば、日本共産党の天皇制廃止革命は、「即時」ではなく、「時間をかけて」の鈴木安蔵方式の方が正しかったことが確定。愛子内親王殿下の2001年12月1日ご誕生を機に、志位和夫やその部下・園部逸夫は、全共産党員に「鈴木安蔵の革命方式を、今般の日共の方針とする」と命令した。

 志位和夫やその部下・園部逸夫らは、「愛子天皇」を擁立すれば、「愛子天皇の御代」に強制退位と天皇制廃止の宣言が可能と踏んでいる。実際にも、日本国民は、即位された愛子天皇には必ずうんざりし拒絶反応を起こすのは間違いない。当然、愛子天皇へのバッシングは想像を超えたものとなり、「愛子天皇」が精神病院に収監されるまで過激一途で、そのエスカレートは止まらない。

 2026年4月中旬~8月上旬、共産党と“共産党の下部機関”新聞TVおよび日共系の評論家・大学教授らが、日本列島ところ狭しと《愛子天皇“待望論”》を大合唱した。愛子天皇なら、最後の天皇に必ず追いつめられるとの、天皇制廃止革命からの「愛子天皇“待望論”」。

 同年8月8日、プラカード「愛子様を皇太子に」を掲げ、日比谷公園から八重洲二丁目の紺屋橋児童遊園まで、薄汚い下層階級がだらだらと歩く気持ちの悪いデモがあった。このデモ参加者は、皆、天皇制廃止の日本共産党員。次世代の天皇は悠仁親王殿下と定まっている皇位継承の合意事項を転覆し、愛子天皇待望論を大キャンペーンしたのは、共産党の《悠仁親王“即位反対”=天皇制廃止》の犯意と執念が尋常ではないからだ。共産党員とは“公金チューチュー、虚言、殺人、国家転覆”など、あらん限りの悪事を平気に行う史上空前の犯罪者集団。共産党員だけが集結してダラダラ歩いていた《8・8「愛子様を皇太子に」デモ》は、このことを赤裸々に証明した。

 このような共産党の傍若無人な天皇制廃止運動を決して許容してはいけない。かつてGHQの共産主義者ラウエル/ケーディス/ホイットニーが賛同し、2002年から共産党が採用した鈴木安蔵の「時間をかけ緩やかに天皇制廃止を達成する」革命方式は、今こそ、日本国民は眦を決して断固と粉砕しなくてはならない。このためにも、男系男子を死守し旧皇族の復籍を急ぐ必要がある。

第二節 憲法第二条「皇位継承は“皇室の家法”に従う」(マッカーサー案)

 1946年2月3日に民政局に指示した、マッカーサー元帥の第二条案「皇位継承は“皇室の家法”に従う His succession is dynastic」は、憲法学的に最高かつ完璧。これ以上の条文は他に見当たらない。井上毅が起草した明治憲法第二条よりはるかに優れている。明治憲法第二条は、次。

「明治憲法第二条 皇位は、皇室典範の定むる所に拠り皇男子孫これを継承す」

 皇室典範は宮務法体系の頂点にあって、憲法からは超然とする“法”として制定されている。日本人は、二千年間の慣習において、そう看做す。しかし、憲法から超然とするのなら、憲法の中に四文字「皇室典範」を入れてはならないはず。もう一度言う。憲法の条文に四文字「皇室典範」を入れれば、憲法が“皇位継承の法”皇室典範をいじれるとの法解釈を可能とさせる。つまり、この第二条は、「憲法が上、皇室典範が下」の関係性を暗に示唆する。

 むろん、井上毅の意図はそうではない。井上毅こそは、その抜群の頭脳明晰さを駆使し、宮務法体系と政務法体系とを截然と分けた日本が誇る保守主義の大秀才。憲法から超然とした宮務法体系では、頂点の天皇は“皇室の藩屏”公家集団に囲まれ、また天皇はその下に立法部門として枢密院と皇族会議を、行政部門として宮内大臣と宮内省を置いた。枢密院は諮問機関だが、政務法でいえば下院に相当し、皇族会議は上院に当る。宮内大臣は天皇が任命し、内閣には属さなかった。

 また、井上毅は、二千年の伝統・慣習を正しく継承した、皇位継承その他の主要な皇室・皇族の運営ルールを皇室典範という明文法にまとめることに成功した。井上毅の後、その他の多くの慣習も明文法化された。登極令などはその一つ。だが、日本人以外の外国人法曹家の眼には、明治皇室典範は、憲法第二条の条文をサッと読めば、憲法より下位の法律と同格としか思えない。

 そればかりか、明治皇室典範は、明治憲法と同時に明治憲法と同じ形で公布された(1889年2月11日)。“皇室の家法”なら、公布するのはまずい。即ち、明治皇室典範は、この公布によって、家法から国法に変質してしまった。明治皇室典範は、皇室の家法だから、別に秘匿する必要はないが、公布すべきではなかった。

 むろん井上毅は、その頭の半分ほどは、皇室典範は憲法と異なり、「公布」はおかしいとは感じていたらしい。明治天皇は、憲法については「発布の詔」を渙発したのに、皇室典範については「発布」とせず、「皇室典範を定め給ふ詔」と、「定めた」にした。この区別は正しい。

 が、私が井上毅で最も驚いたのは、枢密院議長伊藤伯という著者名だが、『帝国憲法 皇室典範義解』を出版したこと(1889年6月1日)。憲法の方は、国民に広く知らしめるために、その解説(コメンタリー)付きの書を出版・販売することは推奨される。

 しかし、皇室典範は“皇室の家法”だから、それを手にするのは皇族や宮内省の官吏に限定されるべき。具体的には印刷部数を限定した上、非売本とすべきもの。即ち、憲法について伊藤博文の名前で解説書を出したのは極めて妥当だが、仮に皇室典範の解説書を出すとすれば、それは近衛家や九条家のトップ公家の当主名であるべきだし、また非売品でなくてはならない。

 憲法も皇室典範も、そのコメンタリーを執筆できる者は井上毅一人しかいないのはわかる。だからといって、この二つを一緒にして同一人物の名で出版するとは、いかがなものか。井上毅は、皇室典範を“皇室の家法”だと考えておりながら、国法だとも勘違いしていたようだ。井上毅のこの勘違いは、継嗣令など朝廷と宮廷が不分離だった八世紀の律令研究から頭が混乱した、と私は推定する。ともあれ、明治憲法第二条については、私が井上毅の助手だったら、皇室典範の四文字を削るようアドヴァイスしただろう。皇室典範は、憲法から分離独立すべき法典だからである。

「明治憲法第二条 皇位は、皇室の伝統と慣習に基づき、皇男子孫これを継承す」(中川案)。

「皇室典範を憲法より下位の法律に落とす」ことに強く拘ったホイットニー

 1946年2月22日、松本丞治・憲法改正問題担当国務大臣が、ホイットニー民政局長らに面会し、GHQ第二条案の後ろ半分、「皇室典範は、国会によって法律にしておく」=「such Imperial House Law as the Diet may enact」を削除してほしいと申し入れた。松本は、その理由として、皇室典範は国会や政府そして憲法から超然たる自律権を有しているからだ、と主張した。

 この松本丞治の正しい異議申し立てを、にべもなく拒否したホイットニーの回答が次。

「皇室典範が国会の承認に委ねられるのでなければ、国民主権supremacy of the peopleがリップサービスになります」。

「皇室典範を国会が法律にするのでなければ(enacted by the Diet)、この新憲法の目的が損なわれます」(注1、394頁)。

 なお、GHQ草案の日米の邦訳確定作業は3月4~5日。2月22日の松本/ホイットニー会談では、英文のGHQ憲法草案「第二条 Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact.」で議論した。

ホイットニーに反駁できなかった“天下一の無能”松本丞治

 このホイットニーの反駁に、松本丞治はポカンとして直ちに降参。それほど松本丞治という人物は、法学博士で東京帝大法学部教授だったこともあるのに、脳内空洞の知識スッカラカンだった。首相の幣原喜重郎が、松本を対ホイットニー担当大臣にしたのは、「赤くないから」の一点のみ。

 日露戦争勝利以降の日本では、井上毅やそれ以前の大村益次郎とか勝海舟などの大秀才がいた明治前半までの日本とは打って変わって、学界も政界も劣化と赤化で、悍ましい事態になっていた。司馬遼太郎の指摘する通り、1905年末以降の日本では、二流以下の人物が闊歩し、赤の巣窟に変貌した。ただ赤くないだけで凡庸な常識人の松本丞治に、1930年代にマルクス・レーニン主義を吸い込んだ四名の米国人弁護士軍団と戦う知力などあろうはずもなかった。私なら、上記のホイットニーの極左見解には、次のように即座に反駁の猛攻撃をしている。

A、フランス革命が産んだ、自由圧殺の暴政をもたらすドグマ「supremacy of the people」を、憲法に闖入させてはいけません。現に米国憲法は、supremacy of the peopleを完全排除しているではありませんか。米国憲法を起草した1787年、第二代大統領になるジョン・アダムスなどが、コーク/ブラックストーン/ヒューム/モンテスキューなどを読み込んで、国内政治に主権を認容すれば暴政に至ると喝破し、これをフィラデルフィアに集結したハミルトンやマディソンら建国の父たちがいっせいに賛同したのではありませんか。(注5に参考文献) 

B、supremacy of the peopleとは、1789年に誕生した、「フランス人権宣言」第三条「国民主権」のこと。“悪魔の思想”「国民主権」は“人間の意思”を絶対視して、《国民の自由、生命、財産》を擁護する“法”の淵源たる、数百年以上つづく慣習の堆積を破壊した。よって、「フランス人権宣言」以降のフランスではギロチンがフル稼働し、フランス全土で虐殺、虐殺、虐殺の嵐が起きたのです。

C、しかるに、フランス革命以前の、ブルボン王朝の国王ルイ16世の治世では、《国民の自由、生命、財産》が十全に保障されていた。国王が世襲において歴代国王との連続・連結を通じて、王家の慣習を継続させるからです。国王が王家の慣習を連続させることが、民族・国全体の慣習も継続させ、その結果、フランス国広くに自由と法的正義の法秩序の大輪の花を咲かせていたのです。

D、これらは、米国の建国に際しての憲法コメンタリー『ザ・フェデラリスト』(1787~8年)や、アレクザンダー・ハミルトンのフランス革命批判論文「七本のPacificus papers」(1793年)を読めば明らかではないでしょうか。ジョージ・ワシントンの『惜別の辞』(1796年)からも窺えます。

ホイットニーらは来日以前、「国民主権」を知っていた?――鈴木安蔵らに学んだフランス革命思想

 閑話休題。1930年代、米国の大学でも日本同様、モスクワ発のマルクス・レーニン主義が繁茂した。それでも米国は日本と異なり、ルソーやジャコバン党などフランス革命思想の方は、殆んど流入しなかった。即ち、ホイットニー民政局には、1918年にニコライ二世皇帝一家を虐殺した、レーニンのロシア共産革命に傾倒するラウエル陸軍中佐やベアテ・シロタ嬢などはいたが、植木枝盛や宮沢俊義のようなフランス革命崇拝者はほぼ皆無であった。

 とすれば、ホイットニーやラウエルらがフランス革命ドグマ「国民主権」に熱をいれたのは、鈴木安蔵らの憲法草案を読んで感動したからではないのか。ホイットニーやラウエルらは、来日によって仏革命のロベスピエールに似た極左革命家に成長した、と解する方が事実に近いのではないか。

GHQ憲法草案第二条の意図的誤訳(改竄邦訳)の犯人は、共産党員・佐藤達夫

 まず、表1をしっかと頭に叩き込んでいただきたい。ホイットニー民政局製のGHQ憲法第二条が、誤訳と改竄訳によって、英語原文とは大きく乖離していく様子が鮮明になっている。第一に、dynasticを訳から外して「無かった」ことにしているトンデモ誤訳には絶句するほかない。dynasticは、欧州の王制諸国家においては定番の、「王家の家法に従う」との意味。が、外務省は、なじみがなかったのか、事実上の削除をしている。

 このdynasticは、マッカーサーの言葉。マッカーサーは、アレグザンダー・ハミルトンやジョージ・ワシントンが尊敬されていた、1910年頃で終わる米国保守主義の最後の時代1899~1903年に、ウェストポイント陸軍士官学校に在学した。そして、dynasticの意味を、ウェストポイントに出講してくるハーバード大やコロンビア大学の教授たちの授業で学んだのであろう。

 外務省は、dynasticを「世襲」だと誤魔化しているが、「世襲」には必ずhereditaryが使われ、英語dynasticがそれを代替することはない。また、英語successionには、「世襲」のニュアンスが含まれており、それを「世襲の皇位継承」と訳すことも可能。やはり外務省は、dynasticを翻訳から完全排除したことになる。

表1;戦後日本における憲法第二条の変遷と中川第二条改正案

マッカーサー第二条案、

1946・2・3

His succession is dynastic.正しい邦訳は「(男性天皇の)皇位継承は、皇室の家法に遵う」。   注1、98頁。
ホイットニー民政局の第二条案、1946・2・13Succession to the Imperial Throne shall be dynastic and in accordance with such Imperial House Law as the Diet may enact.正しい訳は「世襲の皇位は、皇室の家法と国会が法律にする皇室典範に則って、継承される」。  注1、268頁。
上記の外務省仮訳

1946・2・26

「皇位の継承は世襲にして国会の制定する皇室典範に拠るべし」。注6。*前半は杜撰だが、後半のenactは正しく翻訳。
上記の佐藤達夫訳(ケーディスとの翻訳確定作業)、1946・3・4~5「皇位は国会の議決を経たる皇室典範の定むる所に拠り、世襲してこれを継承す」。注7。*enactを歪曲した改竄翻訳。
日本国憲法第二条、

1946・11・3

「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」。佐藤達夫の犯意成功。
中川改正案Ⅰ、2004・7・1。『国民の憲法改正』、13頁。(備考)出版社は私が示した右欄のものには校正せず、印刷。13頁は、校正前の私の粗稿。「皇位は世襲であり、皇室典範の定めにより、男系男子が継承する。皇室典範は、改正を要する時は、天皇の発議に基づき、皇族会議がこれを行う」。*これが、戦後初の、皇室典範に関する国会の関与を全否定した、正しい憲法改正案。
中川改正案Ⅱ、2025・8・29。

『旧皇族の復籍か、天皇制“廃絶”か』、162頁。

 

「(世襲の)皇位継承は、皇室の家法に拠る。(皇室の家法たる)皇室典範は、仮に改正を要する時は、天皇の発議により、皇族会議がこれを行なう」。(註)丸カッコ内は無くともよい。*言葉「皇室の家法」は最重要であると気づき、これを挿入。
中川改正案Ⅲ、2026・7・17「皇位継承は、皇室の家法に拠る。仮に、天皇の発議で皇族会議がその変更を行う場合でも、二千年間の皇室の伝統と慣習に違背する変更は認められない」。*皇女和宮を初め、降嫁に際し皇族の身位を保持したケースは、日本史上に一例もない。高市早苗の2026年7月の典範改悪に驚き、この案を構想。

 さて、問題はenactの訳。actとは「法律」だから、enactは「制定する」「法律にしておく」という意味。外務省は「国会の制定する」と訳しているが、これは正しい訳。しかし、佐藤達夫は、この訳を「議決する」に改竄した。佐藤達夫は、そのことを平然と自著に記録している(注7、111頁)。

 狡猾な共産党員の佐藤達夫は、ケーディスを誑かすに、GHQ原文の「the Diet may enact 国会が制定する」を、同義の「pass by the Diet 国会を通過した」に変えましょうと提案し、「この場合の邦訳は、『国会の議決を経たる』になる」とケーディスに嘘説明し了解を得た。しかし、「議決」とは英語のresolveで、国会の“強い意思”を表現する。enactやpassの意味とは全く異次元。

 ホイットニーは、2月22日に松本丞治に説明したように、「GHQは、皇室典範が憲法を超越する《皇室の家法》と認めることはできない」「憲法の下にある一法律に、その格を落とせ」と命じただけ。が、佐藤達夫は、「国会は意思をもって皇室典範を改変できる」と、GHQ草案の原文をまったく別次元のものに改竄した。1791年のフランス革命憲法と同じものに、邦訳を利用し大変更したのだ。佐藤達夫の憲法思想は、“党籍ある共産党員”長谷川正安の『フランス革命と憲法』と同一。

 佐藤達夫の本(注7の111頁)に、奇天烈な文「皇室の家法という意味で、その発議は天皇によってなされることにしたと述べたが、」が唐突に挿入されている。「天皇の発議」は、のち昭和天皇が幣原喜重郎に指示したもので、3月4日の佐藤達夫が知るはずもない。つまり、佐藤達夫は、ドサクサでenactを「議決 resolve」に改竄することに成功したが、この改竄が、後年、自分が共産党員であることの証拠とならないよう、偽装工作として、保守系の言葉「皇室の家法」「天皇の発議」を、『日本国憲法成立史』の執筆時、文脈に無関係に、111頁の文章の中に、忍び込ませたのである。

天皇への皇室典範“奉還”国会決議(=憲法第二条の死文化)を急げ!

 表1には、憲法第二条から二文字「国会」を消さんと、私が1981年から思案し続けた跡も記録した。

 戦後、多くの旧自由党系国会議員は、「皇室典範の変更は、天皇と皇族だけに許されている」との当り前の事を憲法条文にすべきだと考えてきた。が、私もそう思う。しかし、表1の中川改正案ⅡやⅢへの憲法改正は至難の技で、直ぐには望むべきもない。

 ならば、代わりに今直ぐでもできる過渡的な措置を採るべきだろう。それは、国会が「皇室典範は天皇・皇族のみが変更を可とする」との決議。これはまた、「国会は、皇室典範を天皇に奉還する」との国会決議と言ってもよい。

 義務は放棄できないが、権利の放棄は法的に許される。とすれば、国会が皇室典範を弄れる権利を、国会は放棄することができるということ。この憲法第二条に則った「皇室典範を議決する権利」の放棄は、別な表現をすれば、「憲法第二条の死文化」。「憲法第二条の死文化」をしておかない限り、2026年7月の皇室典範“改悪”のような革命が繰り返される。

 高市早苗は、密入国朝鮮人三世らしく、辻元清美と同じ「女性天皇・女系天皇」が本心。が、2026年4~7月、男系男子主義の麻生太郎が踏ん張り、「男系男子」の皇室典範第一条と「養子の禁止」の典範第九条は生き残った。しかし、“女性皇族の婚姻に拠る臣籍降嫁”の皇室典範第十二条はバッサリと削除された。根が赤い悪魔の高市早苗は、悔しいとばかり、「次回に女性天皇・女系天皇への皇室典範の全面破棄を成功させます」との“9・5高市宣言”をtwitした。

 なお、称号「内親王」を保持し続けた皇女和宮はもちろん、皇統二千年史で、臣籍に降嫁した後も皇籍に残られた女性皇族など一人もいない。皇室典範第十二条は、古来から不変の原則を明文化したもの。この削除は、皇室二千年の慣習の破壊そのもの。まさしく共産革命。

皇室の家法(皇室典範)は不文法がベスト。この英国的方策は、今からでも可能か?

 先述した1946年2月22日のホイットニー/松本丞治の論戦で、仮に私が松本丞治だったら、憲法条文を「皇室典範を国会で法律にしておく」に改悪したいとのホイットニーの意見に対して、私はとっさに「皇室典範を廃止し、皇位継承の諸ルールは、不文の慣習に委ねる」と言い放っただろう。

 英国憲法の学徒である私は、井上毅と異なり、皇位継承の明文化に基本的には反対。不文の慣習が皇室典範の本来あるべき正しい姿だと考えるからだ。この意味で、マッカーサーが、皇室典範に触れず、「皇位継承は“皇室の家法”に従え」を憲法第二条にせよと命じたのは、まさに天の声。

 さて、問題は現在。確かに1946年2月22日の売り言葉に買い言葉の好機なら、「皇室典範は不文法化する」は、最高にタイムリーだった。しかし、現時点、皇室典範の不文法化による、憲法第二条の死文化は可能だろうか。この問題、ゆっくり深慮するとしよう。

注

1、高柳賢三ほか『日本国憲法制定の過程Ⅰ 原文と翻訳』、有斐閣、頁数は本文。

2、鈴木安蔵『憲法制定前後』、青木現代叢書、103~16頁。

3、『日本立法資料全集7 皇室経済法』、信山社出版、115~8頁。

4、中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書、192~200頁。

5、ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、234~40頁。

6、『幣原喜重郎』、幣原平和財団、649頁。

7、佐藤達夫『日本国憲法成立史』第三巻、有斐閣、111頁、164頁。

(2026年9月12日記)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です