筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
明治維新政府は、“尊王攘夷の水戸学イデオロギー(アナーキズム)”で出現した以上、フランス革命のジャコバン党に半ば酷似する極左政府にならざるを得ない。フランス革命は一気に王制廃止に走ったが、明治政府も“緩やかな天皇制廃止”を進める無意識の革命路線を内包していた。
“王制主義者の三傑”伊藤博文/井上毅/金子堅太郎による明治皇室典範の制定(1889年)は、水戸学“排除”の天皇制度尊崇派による産物。が、日露戦争に勝利するや、皇室典範を支えるべき政界・官界では天皇・皇族を蔑ろにする風潮が次第に濃くなった。天皇・皇室を尊崇する精神と“井上毅の皇室典範”を護る精神は同一のはずだが、いずれも政府内部では軽視が基調になった。
明治維新政府における天皇制廃止のリーダーは山縣有朋。山縣は、幸徳秋水1910年5月“逮捕”の大逆事件と同じ1910年8月、天皇制廃止の狼煙を揚げた。これ、国民の猛反対を無視した韓国併合1910年8月の強行のこと。山縣にとり、李朝の王制度の廃止は、日本の天皇制度廃止のリハーサルだった。
だから山縣は、韓国併合反対の伊藤博文が妥協案で示した“韓国併合の最低条件”「韓国は大日本帝国内の自治国、李朝の王は『副王』」を断固と認めなかった。「朝鮮の王制度の廃止」は日本国に逆輸入されて必ずや「日本の天皇制度廃止」を誘発することに目を付けた山縣は、(朝日新聞と組んで)韓半島全域を日本国の領土・国民に併合した。天皇制制度の消滅も期待して韓国併合を進めたということ。
また、朝鮮人を日本人と平等に扱えば、日本人の朝鮮人化(劣化)というブーメランも起きるし、朝鮮人の日本“大量移民”も発生する。国会議員も朝鮮人だらけとなる。これも“反日の巨魁”山縣有朋の狙いだったろう。幸徳秋水の処刑は1911年1月。日本は、この時、“天皇制廃止と私利私欲の権化”を罪状にして、山縣有朋も処刑しておくべきだった。
天皇制廃止“病”だからと山縣有朋を擁護して非難しない共産党支配の現代史学会
日本では“天皇制廃止狂の先駆者”山縣有朋を糾弾する学術論文が皆無。山縣が韓国併合を強行した歴史に関する言及は多々ある。しかし、韓国併合によって戦後日本は朝鮮総連や福島瑞穂/稲田朋美ら「在日」に悩まされ続けているのだから、山縣有朋を糾弾する評論は無数にあってしかるべき。が、一本もない。
具体的に言えば、朝鮮高校の授業料無償化に反対する正論はまだ多数派なのに、朝鮮高校の北朝鮮人たちが文科省の前でデモっている光景に、「山縣有朋って、なんて野郎だ!」と舌打ちする正しい歴史認識を発想する日本人が一人もいないのだ。
それ以上に日本人がポカンと等閑視しているのが、山縣有朋が天皇制廃止“病”だった重要歴史事実。これでは、共産党の隠蔽戦に与することになるのに。具体的には、「皇族降下準則」の策定を命じた山縣有朋とは《政界の幸徳秋水》で《道鏡の化身》だった歴史のこと。しかし、「山縣有朋=道鏡の化身」に気づいた日本人は皆無。日本人の知の劣化は底なしと言える惨状。
この劣化は、2005年、共産党員の園部逸夫が小泉純一郎の有識者会議で「皇族降下準則」を事務局を通じ配布させた時、《それは死産法令だ!》《皇室令ではないゾ!》と声をあげた日本人が皆無だったことでも明らか。「皇族降下準則」は、公布も公表もされなかったし、宮内省は印刷もしなかった。皇室令として成立しなかったからだ。戦前の宮内省には、「皇族降下準則」は、原稿用紙にペン書きした事務官用しかなかった。私の書庫には、そのコピーがある。
山縣有朋とは、ご不例の大正天皇に対しあらん限り不敬をなしたまさに幸徳秋水級の暴漢だった。1920年5月15日の皇族会議で、出席者12名の皇族のうち十名が反対であることが分かった以上、「皇族降下準則」を仮に強引に成立させても運用できない。そこで山縣は、廃案(流産法令)にしようといったんは決めた。
が、大正天皇に審議を枢密院と皇族会議にさせる諮詢を奏上した以上、「廃案になりました」では済まない。山縣は「責任は自分にありますので、枢密院議長を解任して下さい」の「待罪書」を天皇に奉じた(5月18日)。が翌5月19日の朝、天皇を恣意的に操れる枢密院議長のポストを手放したくないと翻意した山縣は、侍従長に命じ「待罪書」を自分に返却させ、波多野・宮内大臣に「皇族降下準則」を大正天皇に御裁可させる“天皇騙し”を断行させた。そして、波多野に宮内省の内部処理で“公布せず公表せず印刷せず”の「皇室令にしない」異例措置を採らせ、この問題の責任を雲散霧消させた(注1)。山縣の権力亡者ぶりの凄さが伝わってくる。
「皇族降下準則」は、伏見宮系の皇族絶滅を八十年後(2000年前後)、直宮家の皇族絶滅を百五十年後(2070年前後)に定めた“皇統断絶による天皇制廃止”を目指したもの。この準則づくりが1917年に始まったが、欧州における《王制廃止の社会主義思想の暴発情況》に連動していることは言うまでもない。過度な親露親独の山縣有朋は、ロシアとドイツの情勢を直ぐに耳に届く態勢にしていた。
●ロシアでは1917年11月にレーニンによって王制が廃止され、レーニンはまたニコライ二世皇帝一家を1918年8月に銃殺に処した。
●ドイツは、ウィルヘルム皇帝が第一次世界大戦の敗戦の責任を問われオランダ亡命を余儀なくされ退位も強制された(1918年11月)。ドイツに共和国熱が蔓延し、また第一次世界大戦の勝者・米国のウィルソン大統領が反・王制主義者だったことも、ドイツの王制廃止を後押しした。
●オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝カール一世は実に不幸な皇帝追放劇に遭遇した。1918年11月には皇帝権限の放棄を強制され、翌1919年3月にスイスに亡命するはめになった。その後は流転と貧困の晩年。私は、カール一世には深い同情を禁じ得ない。
山縣有朋の“天皇位適格者の皇子を払底させる天皇制廃止”策は1919年にでき、1920年に入ると山縣はその法令化を強行した。この山縣有朋版の天皇制廃止革命は、ロシア帝国/ドイツ帝国/オーストリア帝国の王制廃止の流行病からも強い影響を受けている。皇室尊崇の井上毅が1895年に死没し、伊藤博文が1909年に暗殺された後の明治維新政府は、天皇・皇族尊崇派が激減し、政治家も官僚も、山縣の暴走を阻止しなかった。阻止したのは久邇宮など毅然たる皇族だけだった。
死産法令「皇族降下準則」を皇室令だと強弁した加藤進。「皇室令だよ!」と嘘宣伝した園部逸夫
山縣有朋の「皇族降下準則」(1920年)は、「公布されず/公表されず/印刷されず/適用されず」という“四されず”の死産法令。だが、「廃案=流産法令」ではなく、天皇の御裁可を得ているため、2005年の共産党の志位和夫と園部逸夫の嘘宣伝で、墓場の棺桶のフランケンシュタインが生き返ったかのように、今では学者や評論家が、赤い亡霊「皇族降下準則」を振り回す始末。
が、この「皇族降下準則」を振り回すことより、「皇族降下準則」を策定した山縣有朋の意思の方がもっと危険な影響を後世に残した。それは、枢密院議長(山縣有朋)が天皇制廃止を願望した事実。この悪影響は計り知れないほど恐ろしい慣性力となって、現在の日本を覆っている。
(1)1945年12月に開始し1947年10月に成功した、加藤進の伏見宮系の「十一宮家“皇籍剥奪”」は、山縣有朋「皇族降下準則」の《八十年かけて》を《二年足らず》に大胆に短縮したもので、成果から見れば完全に同一。即ち、公式化すれば「山縣有朋の皇族降下準則+スターリンの32年テーゼ=加藤進の十一宮家“皇籍剥奪”」なのだが、このスピードの格差は、共産党員と非・共産党員の相違から発生したのだろうか。
(2)山縣の「皇族降下準則」が遺した悪影響の一つは、宮内省(宮内庁)は天皇・皇族を護る政府機関ではなく、天皇・皇族を敵視しその廃滅を図る機関であるとの前例と伝統を創ったこと。このことは、「枢密院議長・山縣有朋→宮内大臣・波多野敬直→宮内次官・加藤進(共産党員)→・・・・→羽毛田信吾(共産党員)/山本信一郎(共産党員)」の系譜を見れば瀝然としていよう。
この系譜の中で、天皇制廃止のドグマを有さないノンポリは波多野だけ。波多野は山縣の命令が嫌でたまらず右往左往しっ放し。が、「準則」を起草したのは動かぬ事実。極左とは無縁の波多野が、極左の天皇制廃止“教”の一人に括られるのは已むを得ない。
(3)山縣有朋は総理大臣経験者だし陸軍元帥&枢密院議長。それが、男系男子皇族の払底による天皇制廃止に走った事実は、その後、多くの総理をして天皇制廃止に暴走させる慣例を創った。「山縣有朋(長州、参考)・・・・→小泉純一郎(仁川産朝鮮人四世)→野田佳彦→安倍晋三(過激な共産主義者、長州)→菅義偉(北朝鮮人三世、共産党員)」である。この系譜における小泉から菅に至る四名の総理を“洗脳し続けた共産党員学者”が、志位和夫の部下で凶悪な天皇制廃止狂の園部逸夫。
第一節 「上皇陛下を殺害したい」が“日本版レーニン”安倍晋三の心底
日本人の劣化は度を過ぎた重症となっており、もはや治癒不可能。志位和夫が十人束になっても、安倍晋三ほどの過激な共産主義者になりえない。それなのに、それほどの“稀代の共産主義者”安倍晋三を逆さに「保守!」と錯覚する日本人は余りに多い。この誤解の蔓延は、安倍晋三の保守演技力が天才級だからだが、それだけではあるまい。
日本版レーニン安倍晋三を“保守の鑑”だと崇める転倒思惟とは、志位和夫も田村智子も“保守の鑑”だと歓喜する狂気と同一。日本会議や門田隆将など安倍晋三を崇拝する自称「保守」の日本人は、精神病院を脱走中の精神異常者よりひどい。志位和夫を十名束ねた史上空前の“超・過激”共産主義者・安倍晋三を逆さに天皇制護持主義者だと大花火の如くに狂気を爆発させる。
2017年6月、首相・安倍晋三が、内閣として起草しこれを国会通過させた「退位特例法」の内容は、天皇制廃止の前段階を高らかに宣言したもので、ルイ16世をギロチン処刑する直前のフランス1791年革命憲法をそっくり模倣している。真当な日本人なら仰天して目の玉が飛び出す天皇制廃止“前段階”法を策定したウルトラ極左の安倍晋三を、日本会議も神社本庁も門田隆将も、あろうことか「保守」だと言い募る。即ち、日本会議も神社本庁も門田隆将も天皇を殺害して天皇制を廃止する最過激な共産党員と何ら変わらない。
皇太子を廃太子して天皇制廃止を完遂すべく、天皇陛下の譲位を認めなかった“悪魔”安倍晋三
今上の上皇陛下が、80歳で皇太子に譲位し隠居したいと、宮内庁長官・羽毛田信吾に伝えたのが、2010年7月。羽毛田はこの件を2010年に菅直人首相、2012年に野田佳彦首相に相談。そして無視することにした。羽毛田は共産党員だし菅直人(朝鮮人)も共産党員。ともに天皇制廃止が信条。野田佳彦も強度な天皇制廃止論者。三人とも、今上の上皇陛下の譲位の意向をガン無視。
今上の上皇陛下は、保守との評価が高い安倍晋三が総理になった2013年、「早急に譲位したい」と伝えた。宮内庁長官がノンポリ風岡典之に代ったので、今度はことが円滑に進むかと思われたが、総理の安倍晋三が「黙れ! 天皇メ! 譲位は認めない!」と、威圧的に「拒否する」と返答。
この情況が三年も続いた2016年7月(上皇陛下は83歳の目前)、このような不敬な事態は許せないと、一人の中堅の宮内官僚(元・外交官)が立ち上がった。西ヶ廣渉。彼は、天皇の譲位のご意向をNHKに持ち込んだ。NHKはすぐ報道。そこで、もはや隠せないと観念した安倍晋三と菅義偉は、歯ぎしりしながら、NHKが宮内庁長官・風岡典之らと進める今上陛下のTV「譲位」御諚(2016年8月8日、11分間)を黙認。
しかし、根が狂暴な暴力団の安倍晋三は、「俺様の“譲位を認めない”方針に叛逆したナ」と、怒り心頭で、風岡を9月26日に馘首。2020年が定年と定まっていた西ヶ廣渉に対しては、四年も早い2016年10月1日付けで辞職させた。露骨な報復人事処分である(注2、109~10頁)。そして風岡の後任に、羽毛田信吾以上の凶悪&過激な共産党員・山本信一郎を宮内庁長官に据えた。“レーニンの化身”安倍晋三は共産党員以外を決して信じない。
実は、皇太子を廃太子にするか、皇太子に天皇即位を辞退させるかに追いこむキャンペーンは、志位和夫の指揮下で2007年から本格的に始まっていた。この廃太子キャンペーンは、八木秀次を皮切りに、西尾幹二/保阪正康/橋本明/山折哲雄らが主導。そして、“共産党特別党員”西尾幹二『皇太子さまへのご忠言』の2008年出版で、このキャンペーンは猛炎と日本列島を燃やし尽した。
志位和夫が頂点の、この「八木秀次/西尾幹二/保阪正康/橋本明/山折哲雄」グループに歓喜して共鳴したのが、“日本版レーニン”の安倍晋三。エチオピア皇帝を虐殺したメンギスツをその故に尊崇する“極悪の天皇殺し狂”安倍晋三は、平成の今上陛下には譲位させず崩御まで在位させ、皇太子を廃太子し、天皇制廃止を図ることを絶対プランとした。だから、ノンポリ宮内庁長官・風岡典之が、2013年から何度も譲位特例法の制定を願い出ても、安倍晋三は「うるさい!」と一蹴。
この廃太子による空位づくりでの天皇制廃止の革命を提唱した最初が園部逸夫で、『皇室法概論』(2002年)の430頁がそれ。園部の血塗られた屁理屈は、「皇太子に関し象徴天皇の地位にふさわしくない出来事があれば、それをもって皇室典範第三条の《重大な事故》と解して、天皇に即位させない決定を皇室会議はすることができる」と大嘘をアジりついには霞が関を洗脳(注2、167~8頁)。
80歳のご誕生日2013年12月23日前に立法できた、平成の天皇陛下のご譲位
ソ連邦が崩壊した1992年、日本国は共産党支配の極左国に完全に成り下がった。自民党の主要政治家で天皇尊崇する正常な日本国民は麻生太郎一人しかおらず、今では自民党は天皇制度に無関心が過半を超え、天皇制廃止の極左は高市早苗/茂木敏充/小林鷹之と繁茂する一方。
だから、天皇陛下の「譲位」は、次の僅か五条の皇室典範増補特例法を制定すれば済むので、ご希望通り80歳の御誕生日より前に無事に執り行われることができた。しかし天皇殺しが信条の安倍晋三は、断固これを拒否。譲位を認めて天皇制度の延命など絶対に阻止してやるゾが、“メンギスツの同志”安倍晋三の本心。
以下、正しい“御譲位特例法”、正式な法令名称では「今上陛下の御譲位に関る皇室典範増補」の模範を掲載しておく。真正の日本国民ならば、次なる御譲位特例法を三読し、天皇制廃止直前を定めた安倍晋三の「退位特例法」と比較されたい。後者はネット検索で全文を読むことができる。
(前文)
今上天皇陛下に対しまして、第193回国会は、皇室典範増補を畏みて奉呈申し上げます。
(譲位、受禅、即位)
第一条 光格天皇の先蹤に倣い今上天皇陛下が御譲位されるに伴い、皇太子殿下は直ちに受禅される。
2、皇太子殿下の即位の大礼は、詔書で公布する。
第二条 今上天皇陛下の御譲位の日、即ち皇太子殿下が受禅される日は、詔書で公布する。
(太上天皇)
第三条 御譲位後の今上天皇陛下は、太上天皇となられる。
2、太上天皇の敬称は、陛下である。
3、太上天皇の身位に関する「事項の登録、喪儀及び陵墓」については天皇の例による。
(皇太后)
第四条 太上天皇の后は、皇太后になられる。
2、皇太后の敬称は陛下である。
3、その他の皇太后に関しては皇室典範が定める皇太后の例による。
(皇太弟)
第五条 前記第一条が定める皇太子殿下の受禅により、新たに皇位継承第一位となられる皇嗣は、皇室典範第八条が定める皇太子と同じ皇太弟の位に即かれ東宮となる。
2、皇太子に関る皇室典範の規定すべては、皇太弟に置き換える。
3、皇太弟の立太子の礼は、詔書で公布する。(注3、27~8頁)

上記の正しい“御譲位特例法”は、2018年9月刊の拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第一章で発表済み。が、日本人はほぼ全員が、皇統護持の精神も興味すら喪失してしまった。だから、私のこの学術論文を読んだ日本人が限りなくゼロ。ために、「2017年6月制定の、志位和夫(園部逸夫)/安倍晋三“共同執筆の退位特例法とは血生臭い天皇制廃止の法律」という日本史上に最重要事実を、未だ日本人の99.99%が知らない。皇統護持の精神は無知からは形成されない。
そもそも、1974年にハイレ・セラシエ皇帝を殺害した悪魔メンギスツを崇拝し、このメンギスツと何度も抱擁の挨拶を交わした安倍晋三が“レーニンの化身”で天皇・皇族“皆殺し”を信条としている事実すら、日本国民で知るものはいない。皇統護持に命を捧げる真正の日本国民の世襲の精神が、日本列島からことごとく消滅した。それは、日本人が人間としても劣化したことと関係していよう。
この異様な日本人の情況は、日本会議の二十万日本人や門田隆将が、志位和夫を十人束ねても安倍晋三ほどに過激な天皇制廃止狂徒にはなれないと正しく判断できない上に、妄想の“非在の安倍晋三像”を弄んで、安倍晋三を賞讃していることでも明白。妄想でないのであれば、日本会議のメンバー二十万人や門田隆将は、天皇・皇族“皆殺し”狂徒ということになる。
門田隆将を例にすると、2025年2月1日の「西尾幹二お別れ会」のミニ講演で(注3)、“天皇・皇族皆殺し教”の教祖で共産党特別党員の西尾幹二を絶賛した。このように門田隆将は、保守を偽装して保守層に闖入し洗脳力抜群の“天皇・皇族皆殺し教”の巨魁たる安倍晋三と西尾幹二を尊敬する。ということは、脳内は腐った鰯が詰まった門田自身も“天皇・皇族皆殺し教”の狂徒ということ。
志位和夫の指揮の下、共産党本部(代々木)で書かれた退位特例法(2017年6月)の解剖
話を、天皇制廃止の“日本のリーダー四人組”「志位和夫(園部逸夫)/安倍晋三/菅義偉/御厨貴」が策定した天皇制廃止“前段階”法の「退位特例法」の解剖に戻す。この「退位特例法」解剖に関する論文は、日本中探しても、拙著『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』第一章の第一節&第二節しかない。仮にも日本国民だと自認する日本人ならば、第一章第一節29~36頁&第二節43~9頁(注3)は必ず読むはず。以下は、この要約。
一、特例法第一条は、実に異様を極め、通常の法律文からは程遠いシロモノ。まず、その条文が句点「。」なしで、何と四百字近い。読点「、」は十七ヶ。このような条文を霞が関官僚は決して書かない。しかし、弁護士の文章に限って、このような非・国語的な狂文がしばしば散見される。即ち、内容と文体からして第一条を書いたのは日本共産党員の弁護士。特例法は代々木の共産党本部が書いたものだが、この第一条がその証拠になっている。
さらに、この第一条は、典範が定める条文すべてを無視し、同時に典範を全面否定したことを誇らし気に宣言している。「共産党の恣意(意思)は、典範の条文の上にある」とのレーニン独裁体制に耽溺しているようでもある。そして、「俺様はレーニンorスターリンの再来だぞ」と、ふんぞり返った安倍晋三の威張り声が、この第一条から聞こえてくる。
二、第一条は三つの文を繋ぐという異常な文章。そこで、第一条を元のabc三つに解体して考察せねば、それの正確な読みは期し難い。次のabcが、この分解した三つの文。
a天皇陛下はご即位以来、二十八年を超える長期にわたり、国事行為(「祭祀」を抹殺)のほか、全国各地へのご訪問、被災地へのお見舞いを初めとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳とご高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として続けられることが困難になることを案じられておられるし、国民もこの天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している・・・・。
b皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等のご公務に長期にわたり精勤されておられる現下の情況に鑑み・・・・。
c皇室典範第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位(正語「譲位」を抹殺)及び皇嗣(典範が定める用語「皇太子」の抹殺)の即位を実現する・・・・。丸カッコ内中川。
三、aについて。御高齢により譲位されることは自然。古来の慣習や先例に照らしても妥当。が法律であるなら、わざわざ「ご高齢」との事由を挙げる必要はない。“天皇殺し狂”安倍晋三と共産党本部は、古来からの皇室慣習から今の皇室を切断し、人民の意思に基づく操り人形に天皇を改造したく、高齢という理由付けを公然と言い募ることにした。譲位は天皇の大権で、それをお決めになられた天皇の御聖慮についてはただただ畏んで承るのが、臣下・臣民である日本国民のありよう。「高齢になられたから、隠居を認めて上げよう」など、天皇に対する不敬の極み。
天皇の「譲位したい」に対し、国民は「畏まりました」と即答してこそ、あるべき天皇と国民の自然な形。これを逆さにして、「国民が天皇に譲位を認めて上げる」と定めた特例法第一条など血塗られた狂気。このようなもの一秒たりとも存在させてはならず、直ちに廃止せねばならない。
なお、(現憲法が施行された1947年ではなく、それから四十年も経った)1987年から突然、共産党が振り回すようになった共産党語「象徴」は、《今の天皇は象徴になったから、“象徴ではなかった”それ以前の天皇とは異次元に変質した》との大嘘の詭弁づくり魔語として駆使されている。即ち、共産党が二文字「象徴」を振り回すのは、皇室の伝統や慣習や先例を爆殺するための殺し文句。即ち、共産党語「象徴」は、皇室の伝統や慣習や先例を無視しようとの革命を正当化する“仕掛け爆弾”なのだ。この共産党語「象徴」は憲法から援用しているが、憲法の用語「象徴」とは似ても似つかない全くの別物。
四、bは、驚くなかれ、皇太子の自動即位条項である、皇室典範の第八条&第十一条第二項を、公然と抹殺している。即ち、bは、皇室典範に違反する“違法”の極み。特例法は、譲位の法律(皇室典範増補)ではなく、皇室典範を破壊尽くす“反・皇室典範の共産革命法”になっている。さらに、このbは、皇太子という身位の全否定に立脚した、皇太子を侮辱するヤクザの言辞そのもの。
五、cを駄文だと勘違いしないこと。この文は、「国会=人民は、天皇の上にある」を前提にしており、上から目線で天皇や皇太子を見下げている文。すなわち、aもbも「天皇や皇太子は、国会=人民の下」を絶対視している。そしてcは、そのダメ押し。
要は、特例法第一条は、「天皇も皇太子も国会=人民にかしずく奴隷や奴僕」だと定めた条文なのだ。これ、1791年のフランス革命憲法と全く同一。そして、このフランス革命憲法から一年半後にルイ16世がギロチンで殺害されたように、この特例法第一条も、天皇や皇太子を殺害したいとの強度な殺意なしには考案されてはいない。退位特例法は天皇・皇太子“処刑”準備法と称してこそ、その本性を正しく穿ったと言えよう。
以上の一~五は、拙著30~6頁(注3)を再読すれば、もっと鮮明に理解することができる。
六、上記bは、特例法が天皇制廃止準備法なのをもっと露骨に定めた条文への前座でもある。このことを拙著43~9頁(注3)が解説。読者は、これを必ず精読されたい。
特例法第二条は「天皇は…退位し、皇嗣が直ちに即位する」。この異様さに卒倒しなかった日本人は、一億人もいながら、ほぼゼロ名。日本列島には日本国民は今や一人もいないということ。なぜなら、この第二条は「皇太子」という典範が定める身位を完全否定し、その代りに“皇位継承順位第一”を意味する非・身位語「皇嗣」に置き換えている。文面上での廃太子の決行。即ち、第一条にある異様な文章bは、第二条の「皇太子」抹殺を狙っている。
そして、退位特例法と共に施行された宮内庁法の一部改正で、皇太子の廃止に伴って「東宮職」を廃止して、奇天烈な「皇嗣職」を置くことになった。東宮は春宮とも書くが、皇太子/皇太弟/皇太孫を指す。さすれば、この宮内庁法の一部改正で、日本から「皇太子/皇太弟/皇太孫」を消滅させたことになるではないか。これ、皇室典範に重大に違反する組織替え。また、それを白昼公然と実行した共産革命。
「皇嗣」とは、“皇位継承順位第一位の皇族”を指す語彙だから、秋篠宮殿下を、皇室典範第八条の「皇太子/皇太弟/皇太孫」とは異次元の単なる皇族に貶めている。2007年から始まる廃太子キャンペーンは(注2、167~8頁)、2017年6月の「退位特例法」で、ついに立法化されたということ。
ところで、秋篠宮殿下が「皇太弟」にならず、秋篠宮のままの一皇族であることに国民の99.99%が怪訝に思わない状態には、私は愕然としている。なぜなら、この事態は、日本の皇統護持はもはや絶望になったと言わざるを得ないからだ。ネットを見ると、「秋篠宮殿下は立太子礼を催行されており、実態として皇太弟だから、何の心配ない」など、脳天気な論評が実に多い。
が、法律はそのような儀礼など超越する。秋篠宮殿下は廃太子である以上、その皇子・悠仁親王殿下が皇位を継がれる可能性は今では極めて低い。悠仁親王を排除すべく、強引に愛子天皇が擁立されるだろう。そして、機を見て愛子天皇は強制退位させられる。日本が天皇制度を失う、そのような瞬間が、刻一刻と到来している。
退位特例法を全面的に廃止し、宮内庁法「付則」第三条の削除を急がなければ、日本が天皇制度の消滅を防ぐ方策はほとんど消えかけている。
注
1、『倉富勇三郎日記 第一巻』、561頁ほか。
2、中川八洋『旧皇族の復籍か、天皇制“廃絶”か』、頁数は本文。
3、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』、ヒカルランド、頁数は本文。
4、中川八洋『天皇テロル 西尾幹二はスターリン狂』、補遺Ⅲ。なお、この「お別れ会」に関するエセーでは、門田隆将のミニ講演録が手に入らず、門田には言及しなかった。調査未了だが、門田はもしかすると共産党秘密党員かも知れない。西尾幹二に傾注する者は北朝鮮人か共産党員しかおらず、門田が、この例外だとする根拠は今のところ不明だからだ。
(参考) 明治以後の天皇制廃止の発祥は長州だけでなく、薩摩も土佐も
明治維新政府で、長州出身の山縣有朋が(皇族数ゼロ化に至らしめる)「皇族降下準則」の制定に躍起だったのは、彼が天皇制廃止を目指していたからである。このような天皇制廃止の革命が明治維新政府内で躍動したのは、長州出身者だけではない。実は、維新を遂行した四藩のうち、肥前藩を除く三藩は皆、天皇制廃止を基調に秘めていた。
薩摩藩の西郷隆盛は激した天皇制廃止を目指した戦争狂アナーキスト。だから、その西南戦争は、表向きの征韓論とは無関係。西郷の西南戦争には戦争目的が二つあった。第一は、勝海舟に止められ未完となった、江戸=東京に火をつけ廃墟とすること。江戸焼却は狂人・西郷の悲願。
第二は、明治天皇を御所に監禁し皇居を乗っ取ること。西郷はあくまでも自分が日本の独裁者になることを目指し、幕末の維新運動に爆走した。西郷にとり最終段階では天皇は邪魔に過ぎず、排除する予定だった。
西郷隆盛が全く不必要な戊辰戦争を起こして会津鶴ヶ城を落としたのも、城内に残る会津藩のなけなしの財貨を翳め獲ること。実際に西郷は落城に紛れて、その盗みを決行し、それが西南戦争の戦費となった。長岡城を焼いたのも、同じ目的。落城寸前で征く必要がないのに、西郷が長岡に急いで駆け付けたのも、城内にある財貨を盗むためだった。
土佐藩からは、ルソーの『人間不平等起源論』を信奉するアナーキスト中江兆民という、ルソー流の天皇制廃止イデオローグが跳梁跋扈した。中江兆民から幸徳秋水と植木枝盛が育ったように、天皇制廃止の源流として土佐藩は、(「吉田松蔭→河上肇」の)長州藩に並んでいる。
第二節 典範第十二条を復活し絶対慣習「女性皇族の降嫁制度」を死守しよう――婚姻後の女性皇族を《囚人》扱いしたい高市早苗
東京の芝公園の増上寺の徳川家墓所に、皇女和宮の宝塔がある。青銅製。隣の「夫」徳川家茂(第14代将軍)の宝塔が石造りなのは、皇族と臣下の関係を明らかにする意図なのか。臣下に降嫁された皇女和宮が、「夫」徳川家茂の居宅・江戸城に入られたのは1861年12月。1846年閏5月生なので15歳だった。
家茂は、1866年7月、享年20歳で大坂にて病死。和宮は20歳にて未亡人となられた。和宮は1877年9月、病気療養のかいなく箱根塔ノ沢にて薨去。享年31歳。東京港区の増上寺の境内に埋葬。
以上、皇女和宮に関するイロハ的な歴史事実の紹介。“密入国の朝鮮人三世”高市早苗の「典範第十二条の削除」という “世紀の典範改悪”(2026年7月)は、皇女和宮に関する歴史事実の悪質な捏造に基づいて実行された。これは、高市の“大逆”というべき天皇・皇室への大叛逆。このことは、皇女和宮に関する歴史一つで、いとも簡単明快に証明されてしまう。
共産党員・菅義偉(北朝鮮人)『2021・12報告』は、高市好みの嘘、嘘、嘘の大洪水
麻生太郎や森英介が、1950年に密入国した“朝鮮人の末裔”高市早苗(非・日本国民)に煽られ洗脳され、2026年4月から推進した、①「旧皇族の養子」と②「婚姻後の女性皇族の身位保持」(臣籍降嫁の禁止)は、2021年に首相だった菅義偉が共産党と謀議してデッチアゲた“女性宮家&女系づくり”(→天皇制廃止)の秘策。
『菅義偉2021・12報告』とは、かくも大嘘ばかりのトンデモ共産党文書。中学二年生の知識でも、読むに堪えないシロモノ。細田博之・衆院議長は2022年1月、岸田文雄首相から、『菅義偉2021・12報告』を手渡され、直ぐ読み、即座に塵箱に捨てた。これ、普通の日本人の当然の行動。
『菅義偉2021・12報告』の内容や主張は、皇族数の増加には何一つも繋がらない。その上、反“皇室の家法”一色の、対天皇“叛乱呼びかけ”の煽動書ではないか。細田博之は、天皇制度護持には何ら関心のないノンポリだが、『菅義偉2021・12報告』が天皇制廃止を目指す極左檄文だと即座に見抜いた。一方、高市早苗は、これを読んで細田博之の真逆に走った。高市早苗が菅義偉と同じ“天皇制廃止を目指す凶悪な朝鮮人”だからだろう。
『菅義偉2021・12報告』には、誰でも目が飛び出すトンデモ嘘歴史がある。その一つが、次。
a;「内親王/女王が、婚姻後も女性皇族の身分を保持し、皇族として様々な活動をして頂く」。
b;「これは、女性皇族が非・皇族(臣下)と結婚しても、皇族の身位のままであったという皇室の歴史とも整合する」。
c;「和宮・親子(ちかこ)内親王(仁孝天皇皇女)は、第十四代・徳川家茂との婚姻後も皇族であり続け、その夫・家茂も皇族にはならなかった」(以上、『菅報告』10頁)。
朝鮮人かつ党籍ある共産党員の菅義偉とは、良心が一欠けらもない狂暴・凶悪な大嘘吐きで、“天皇・皇族テロリスト”の典型。これは、先帝陛下に対し譲位を禁止し退位を強制した、2019年4月30日の悪魔もたじろぐ退位“人民裁判”を、菅義偉が中心となった敢行したことで明らか。また、翌5月1日の皇太子殿下の即位式まで、天皇陛下から剣璽を没収し、17時間半も宮内庁の金庫にしまい込むなど、菅義偉の(天皇に対する)暴虐な叛乱は皇統二千年史で前例がない。そんな血に飢えた“天皇・皇族殺人鬼”の菅義偉にとって、上記の歴史捏造など朝飯前。
まず、bの嘘。皇室の二千年史で、婚姻された女性皇族が約五百名(仮数字)おられるとして、およそ十名足らずが「内親王」「女王」の称号を返上せず臣下と婚姻されたとすれば、それは僅か二%。が、殺人教団ジャコバン党の血を継ぐ“血塗られた殺し屋”朝鮮人の菅義偉は、「結婚しても皇族の身位のままだったのが皇室の歴史」だと、例外2%を100%だったとの巨嘘を平然と記述している。
次。完全な嘘a。婚姻後も「内親王」「女王」の称号を持つ女性皇族で、皇族として活動されたケースは歴史上一例もない。その端的な例が、皇女和宮・親子内親王。第14代将軍・徳川家茂に嫁いだ正室の和宮は、江戸城にいて激動の幕末を徳川家のため必死に奔走された美徳の女性だった。
ところが、“最凶な大嘘吐き朝鮮人”菅義偉は、皇女和宮は京都御所にお住まいで、江戸城は京都御所に隣接していたと、『菅義偉2021・12報告』で主張している(a/b/c)。菅義偉によれば、徳川家茂は、どうも江戸から京都御所に引っ越したらしい。
cについて。孝明天皇が、妹の和宮・親子内親王に、婚姻に当り称号「内親王」を返上させなかったのは、徳川将軍に対して「お前の妻の方が、お前より身分が上だ」という序列を叩き込む方便。つまり、“最凶の大嘘吐き朝鮮人”菅義偉がデッチアゲた、皇族として活動をしてもらうため、などの目的は微塵も存在しなかった。
孝明天皇の「家茂よ、お前の妻の方が、お前より身分が上だ」は執拗で、江戸城の大奥で、正室「皇女和宮」を「御台所」と呼称したことに激昂され、「和宮」と称するよう命令された。このように、「内親王」は、夫婦間の身分の差異を徳川家に認識させる一点が目的だった。それ以外の目的は、何一つなかった。つまり、婚姻後は、「内親王」は“身位”ではなく、“称号”だった。
もう一度、aについて。和宮は江戸城に入城して以降、皇族としての活動を一つもしていない。江戸にいて京都にいない以上、物理的に不可能だったからではない。女性皇族の二千年間に亘り、慣習《嫁しては夫に仕える》が絶対規範だったからだ。武家の女性にも、この慣習《嫁しては夫に仕える》は普遍的だが、天才的な夫・源頼朝をただ利用して「実家の北條家の権力掌握」に邁進する北條政子のような悪女が、武家社会には偶には現れる。が、女性皇族には、この種の女性がゼロ。
『菅義偉2021・12報告』が真赤な嘘歴史なのは、和宮の墓が徳川家の菩提寺である増上寺(東京都港区)にあって、京都にはないことで明らか。和宮が皇族であれば、京都の寺に陵は築造されている。“赤い悪魔”菅義偉を官房長官そして首相にした安倍晋三を、絞首刑百回の刑で殺処分しなかった日本国民は、いずれ亡国という天罰を受けるだろう。
『菅義偉2021・12報告』を塵箱に捨てなかった”麻生太郎の行動は有害ミステーク
人柄は申し分ない麻生太郎が漢字も読めない無教養人なのは、つとに有名。流言「麻生は老耄すぎる」は、細田博之のように『菅義偉2021・12報告』をごみ箱に捨てる常識を持ち合わせず、あろうことか、それを法制化する逆走をしたことに明らか。麻生太郎の“脳無し”は底なしなのか。
金日成を崇拝し“志位和夫の忠実な下僕”菅義偉が、典範十二条を削除し女性皇族に「女系の子」を産ませ、天皇制廃止を達成せんとしているのは自明。が、麻生太郎にはこれが見えない。
また、「旧皇族の養子」論は、2005年に全国で木魂した「旧皇族の復籍」の声を封殺せんがため、志位和夫&園部逸夫が2007年に考案し流布せしめた。この重大事実を知らないとは、麻生太郎は、自民党の皇室問題担当トップの責任を全く果していない。
また、菅義偉が共産党員で北朝鮮人である事実や、側近にしている小林鷹之が党籍ある共産党員である事実も知らないとは、麻生太郎に、自民党の皇室担当のトップの資格はないかも知れない。『菅義偉2021・12報告』は、表向き看板で「皇族数の安定的確保」を掲げた。ならば、その方策は、表1が示すCの「旧皇族の復籍」一択しかない。小学生でもわかるイロハ常識。
それなのに、菅義偉の天皇制廃止の陰謀文書『菅義偉2021・12報告』に引っかかり、旧皇族の由緒ある宮号を否定する養子論を法制化したり、あるいは「女系の子」を産ませない措置の二千年前からの慣習(=法)を蹂躙し、「女性皇族の臣籍降嫁」原則を禁止するとは、反・天皇/反・皇族も度が過ぎる。麻生太郎は、天皇制廃止を悲願とする“密入国朝鮮人”高市早苗に、頭と精神をやられた朝敵として後世に悪名を残すかもしれない。
表1;「B迷彩服の天皇制廃止」を“さも保守か”に錯覚させる「A女性・女系天皇」大キャンペーン
| A天皇制廃止コース1 (共産党/園部逸夫→小泉純一郎) | B天皇制廃止コース2(菅義偉→高市早苗→麻生太郎/森英介) | B’将来に天皇制護持を鞏固にする萌芽策 (Bの鏡像、何故か不在) | C天皇制度の護持(正常かつ健全な善男善女の日本国民) |
| (愛子天皇など)一気に女性天皇・女系天皇を創る共産革命 | 女性・女系天皇に至らしめるに、中間段階の典範“大改悪”を挟む | 皇籍を剥奪された1947年の全十一宮家の復籍への第一歩となる | 旧皇族十一宮家の復籍(国会決議と皇室会議の了承だけで可能) |
| 皇室典範第一条の削除 | 皇室典範第九条の例外ケースの章を追加。第十二条の全面削除 | 第十二条に二項(附記Ⅱ)を追加する微小な改正(改悪性ゼロ) | 新たな立法は全く必要なし。また、現・皇室典範もそのまま。 |
| 憲法第二条が定める「皇位継承」は、憲法第三条の国事行為ではない。が、高市は、「皇位継承=国事行為」だと、憲法違反の大詭弁を法螺吹く。 | 国民騙しの共産党語「皇族数の安定的確保」は、麻生らの頭を麻痺させた麻薬の悪魔語。なお、高市早苗は天皇・皇族を見ると虫唾が走る憎悪一色。 | 十一宮家“復籍”の誘発を避けるべく、志位和夫/園部逸夫は、このB’を共産党編『皇室制度を考える』から排除。「菅→高市/麻生」もこのB’を抹殺。 | 2005年に日本列島で沸いた皇統護持の“正統”策「旧皇族の復籍」は、その勢いが今はない。「旧皇族の養子」論が「旧皇族の復籍」を潰したのだ。 |
典範第12条は皇女和宮にも適合する皇室二千年の慣習。削除の理由などない!
密入国朝鮮人の高市早苗は、今や女ロベスピエール。高市早苗は、天皇・皇族、特に女性皇族に対し、皇室に閉じ込める囚人化を図らんとする悪魔と言える。現に今、彼女の本性たる残虐残忍さが噴き出して猛炎となり天を焦がしている。皇室二千年間の慣習を破壊する典範第十二条の削除は、まさにその氷山の一角。少しコメントしておく。現行の典範第十二条は、次のように、二千年間に亘る女性皇族の慣習/先例に、百点満点の精度で合致している。
「第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻した時は、皇族の身分を離れる」。
天皇が宣下された「内親王」「女王」を保持したまま臣下に嫁いだ女性皇族も、この第十二条に遵っている。具体的に、幕末の皇女和宮や平安時代の摂関家の公家に嫁いだ女性皇族は、「内親王」「女王」を保持していたが、例外一つもなく、皇室から完全に離脱し、臣下の婚家の妻・嫁になっている。そのような情況の皇族を、「皇族」と言うことはできない。
要するに、「内親王」「女王」を保持していても、それは皇族の資格とは異質。「身位」の標識が「称号」になっただけだからだ。ただ、「称号」であれ、臣下の婚家側では、この称号の威圧感は大きく、この元・皇女を皇族として扱うのはごく自然の成り行き。一方、皇室側ではこの降嫁した皇女を、皇族とはせず非・皇族に扱った。実際にも、天皇・皇室側は、そのような皇女を皇族リストから抹殺し、皇室に残っている皇族と扱った例は一つも無い。
皇女和宮について説明すれば、孝明天皇を初め京都の皇室では、和宮を武家の妻となったと認識し、皇族とは認めていない。孝明天皇は、徳川将軍家に対し、「和宮を皇族に扱え」と命じる手段として、和宮に「内親王」を返上させなかっただけ。即ち、天皇・皇室側では、「和宮は皇族の身分を離れた者」と処理されている。このように、降嫁は、称号「内親王」保持の有無で相違が生じることは一度も無かった。称号「内親王」があろうとなかろうと全く同じ。いずれも、皇族ではないのである。すなわち、皇女和宮のケースですら、典範第十二条とはいささかの齟齬はない。
天皇/皇族“憎悪”の帰化朝鮮人・高市早苗の「天皇制廃止に一歩前に」が加速一路
が、ことのほか天皇・皇族を憎悪する密入国朝鮮人・高市早苗は、何としても、日本から天皇皇族を絶滅したいと躍起。その方向への高市の暴走にブレーキがかかる気配はない。
一方、天皇制度を祖先より預かり子孫に相続させていく義務を負うた、我ら真正の日本国民は、皇室の伝統・慣習を完ぺきに正確に明文化した明治皇室典範の各条項を守り抜かねばならない。そのためには、朝鮮半島からの侵略者・高市早苗の赤い野望を粉砕しなくてはならない。高市の狂気「天皇制廃止」の芽を根元から摘んで撲滅しておかねばならない。
このためには、皇位継承や皇族の問題は本来的に天皇の大権だから、皇室典範を天皇に奉還し、国会も政府も、皇室典範に触らない制度に戻す必要がある。「皇位継承は、皇室の自律権である His succession is dynastic」としたマッカーサー元帥の慧眼と識見に立ち返るべきである。
皇室問題は何であれ、“皇室の家法”に基づいて処理されるべき。とすれば、“皇室の家法”の一部を明文化した皇室典範とは天皇・皇族に専管的に帰属し、また内閣の皇室典範に対する改正or改悪は憲法第二&第三条から憲法違反が明らかである以上、高市の典範“大改悪”法案は断固阻止され廃案に追い込むべきであった。
また、天皇の大権で天皇に帰属する皇室典範を我が者顔に大改悪する高市早苗を、釜山港に国外追放するか、幸徳秋水と同等の罪を犯しているから絞首刑に処すべきだろう。
(附記Ⅰ)典範第十二条に関し、例外的な皇女和宮のケースも一般規則にしておきたいと考えるなら、次は同条の改正案の一つ。ただ、この「但し」以下の追加文は果して必要か。
「第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻した時は、皇族の身分を離れる」
↓
「改正第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻した時は、皇族の身分を離れる。但し、この婚姻に際し、天皇が当該皇族女子に称号〈内親王〉〈女王〉を宣下することは妨げられない」。
(附記Ⅱ)表1のB’について
方策B「女性皇族への旧宮家の養子」は、皇統に武家の「家」制度を闖入させるトンデモ制度。一方、それを反転させた鏡像ともいえる方策B’「旧宮家に女性皇族がお嫁入りした場合は、この旧宮家は皇族に復帰する」は真面な提言。しかし、何故か、この方策B’の提言が全く存在しない。
方策Bでは、仮に婚姻が成立しそのロイヤル・カップルに子が生まれても、この子は「女系」である。一方、同一のカップルでもB’の場合なら、それは男系。女系ではない。しかも、B’では、この旧皇族は婚姻と同時に皇籍を回復し皇位継承権を付与され、八十年前に喪失した宮号を再興できる。
また、女性皇族は男性皇族と婚姻するのが奈良時代までの絶対慣習だから、これにも適合する。ためにB’では、女性皇族の方が旧皇族の男性を積極的に求めるから、実際に婚姻が成立する。結果、皇族数が確実に増える。
ここに、「旧皇族の養子」が、志位和夫/園部逸夫ら共産党製の2007年刊の『皇室制度を考える』を通じて、霞が関や宮内庁に広がったカラクリが見えてくる。「旧皇族の養子」の宣伝流布により、第一、C「旧皇族の復籍」が粉砕され、その声はか細くなった。第二、B’「女性皇族と婚姻した一部の旧皇族に限り、皇族に復籍しその宮号を回復できる」方策が完全に闇に葬られた。これら諸事実は重大で等閑視してはならない。なお、B’ケースを典範第十二条第二項として条文化したのが次。
「追加第十二条第二項 皇族女子が、1947年10月に皇籍を喪失した旧皇族男子と婚姻した時は、この旧皇族男子は皇族に復帰し、当該旧皇族男子ならびにその嫡流男児は皇位継承権を有する。」
北朝鮮人の菅義偉とその『2021・12レポート』が、皇女和宮に関する大嘘歴史で、典範第十二条をバッサリ削除すべしと提言した目的は、唯一つ、実はこれ。上記の第十二条二項が追加されることが無いよう、先回りして十二条を煙と消すためである。鈴木宗男と組んで、共産党員・菅義偉は、八千年間にわたる北海道の先住民族・縄文人を不在とし、アイヌが初の北海道先住民族だと大嘘歴史を国会決議させた過激な日本憎悪狂(2008年)。菅義偉ほどの、日本歴史を地球上から消し去ることに全力疾走した“残忍残虐な対日侵略者”は他に類例を見ない。
この『菅義偉2021・12レポート』を素晴らしいと称賛したのが、ハノイのコリアン売〇婦の娘・櫻井よし子。この櫻井よし子と組んで、菅義偉の典範“爆殺”の実行犯を買って出たのが密入国コリアン三世の高市早苗。高市早苗を絞首刑に処さないとすれば、日本は滅ぶ。
(2026年10月31日記)
