筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
吉野源三郎とは、戦後日本にソ連軍を侵略させて日本をソ連が無限に収奪し続ける“国家喪失地獄”に叩き落さんとした、悪魔が縮こまる“凶悪な共産主義者”であった。そんな狂気のスターリン教徒が、日本の子供たちを“ソ連人=狂気の共産革命の戦士”に改造するために書いた赤化・洗脳教本『君たちはどう生きるか』が、漫画版だが、今、超ベストセラーになっている。すでに170万部を突破したという。
※本稿は、2018年2月25日に中川八洋掲示板のために執筆された記事を、再掲載したものです。
吉野源三郎のような札付きの共産党員の本は、エチオピア農民婦女子150万人の餓死処刑に加担した“極悪非道の殺人鬼”黒柳徹子の『窓際のトットちゃん』でもそうだったが、なぜか必ず超ベストセラーになる。誰しもこのからくりを知りたいだろうが、この問題は、ここでは扱わない。
1937年7月に新潮社から出版された『君たちはどう生きるか』は、ちょうど“究極のスターリン狂”で共産主義者・近衛文麿が、「対蒋介石戦争」を開戦した1937年7月と同じ年/同じ月であった。「対蒋介石殺害戦争」を、当時も「日支事変」だと偽装語で誤魔化し、戦後もまた「日中戦争」だと嘘ラベルを張った。が、近衛文麿が日本国民を騙して日本の国費と日本の若者の命を蕩尽した「八年間の対支戦争」は、中国共産党の毛沢東に依頼されるままに、“反共の蒋介石”を殺害して支那全土を毛沢東の手に渡すことを戦争目的とした戦争だった。
そればかりではない、吉野源三郎に少年用赤化洗脳教本の書き方を教えたコミュニスト山本有三が、大東亜戦争を煽動して昭和天皇/吉田茂など親英米派・大東亜戦争反対派を封殺した朝日新聞に『路傍の石』を連載開始したのも、この1937年であった。山本有三は、河上肇の直系で“日本のスターリン細胞のボス”近衛文麿グループの一味であった。人脈図を描けば、「吉野源三郎──(少年を共産革命戦士に改造する教本の書き方の師弟関係)──山本有三──(ソ連軍の日本侵略誘導の赤化集団)──近衛文麿」ということになる。つまり、吉野源三郎とは、東アジア共産革命戦争(=「大東亜戦争」)のれっきとした一味で、悪魔そのものの“スターリンの犬”だった。
なお、『君たちはどう生きるか』は、一時的に目を患った山本有三に代行し、ピンチ・ヒッター的に吉野源三郎が書いたもので、山本有三が企画編集した(1935年に第一回配本の)全十六巻「日本少国民(=「少年少女」のこと)文庫」の最後の配本第十六冊目であった。また、この「日本少国民文庫」シリーズは、日本の若者をアジア共産化革命の“祖国叛逆”大東亜戦争に駆り立てるべく、山本有三が近衛文麿に依頼されて企画出版したと考えられる。
コミュニスト山本有三もコミュニスト吉野源三郎も、大東亜戦争の八年間にわたり一度も、小声ですら大東亜戦争に反対していない。心底からアジア赤化の大東亜戦争に狂喜乱舞していたからだ。
““共産党員”吉野源三郎のベストセラーに狂喜する『文藝春秋』誌の真赤な怪気炎──『君たちはどう生きるか』は子供達を“共産革命戦士”に洗脳養成する“赤化教本”” の続きを読む