対ロ外交交渉は、対ロシア“領土献上”への着実な道

筑波大学名葉教授  中 川 八 洋

 1861年、日本は対ロ無交渉・無条約によって、対馬をロシアの強奪寸前から無事に奪還。これは、幕閣の中枢が親英・反露派になったことと大俊英・勝海舟の頭脳とが化学反応したことで可能になった、一種の偶然で奇跡。

 だから、この勝海舟の対ロ無交渉・無条約主義は、幕府の慣例とはならなかった。幕閣の反露派は少数だった上に、幕府政治は、紀元元年頃の神武天皇の御代に始まる大和朝廷以来の日本政治文化「先例重視」を慣行としていた。が、先例重視は、無思考・無賢慮と表裏一体。だから、川路聖謨が、1855年の日露和親条約で確立した「対ロ宥和路線」は、1861年の対馬奪還の成功事例を考慮することなく、何ら改変もされず唯々諾々と踏襲された。むしろ、日本の対ロ態度は、対ロ宥和“狂”川路聖謨に呪縛され、その枠内から一歩も出なかった。すなわち、幕末発祥の“日本病”「日本は対ロ属国」主義は、今に至るも治癒しない。今後も治癒しないだろう。

 表1の表現で言えば、日本が正しい「正」の対露外交に戻った1861年8~9月は奇跡の“一場の夢”だった。とすると、日本が、侵略ロシアの前線と邂逅した、1792年のラクスマン/1804年のレザノフに抗して、無交渉・無条約を貫いた(最上徳内が「得撫島に実効支配用の幕府小部隊を駐屯させよ」と1786年に建白したような、)正常な対ロ外交は、(得撫島だけには幕府軍の駐屯がなかった大ミステークを除き)樺太/宗谷/択捉島への駐兵という最も正しいやり方で1815年まで続いたが、これが最初で最後だったことになる。

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“北方四島”奪還の好機を何度も棄てた“ロシア属国”日本

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 私が、“北方四島奪還の五条件”をひっさげ、全国を講演して回り出したのは、私を触発したロナルド・レーガンが1981年1月に米国大統領に就任したのがきっかけ。1983年末頃までは熱心に説いた。北方四島奪還の五条件とは、「北方四島を本当に奪還したければ、日本は、1に対ロ無交渉、2に対ロ無条約、3に対ロ国交断絶(=鳩山一郎が締結した「日ソ共同宣言」の破棄)、4に対ロ経済途絶(田中角栄が開始したシベリア開発協力の完全禁止ほか)、5に四文字魔語《日ロ友好》の禁止ならびにロシアとの文化/学術交流の禁止」。

 当時の日本人聴衆は、私の上記提言をかなり好意的に拍手してくれた。満州におけるロシア軍の蛮行と北方領土の不法占拠に対する怒りが常識の世代がまだ現役(65歳以下)だったからだ。

「1の対ロ無交渉・無条約」は、勝海舟と吉田茂に学んだ、私のかねてからの持論。だから、1980年にレーガンが大統領選挙の公約として“対ロ無交渉・無条約”をアメリカ国民に訴えているのをTVで聴いた時には興奮し、大いに鼓舞された。レーガンは、「アフガニスタンに侵略したソ連とは決して外交交渉をしない」「ソ連とは、核兵器に関するどんな協議もしない。条約も締結しない」と、アメリカ国民に訴えていた。

 イワン雷帝に始まる“ロシア対外行動五百年史”の研究者である私は、《ロシア民族は、条約で領土を決して返還しない》ことを熟知する、日本唯一人の学者。だから、私のみ、「1955~6年の対ロ交渉で鳩山一郎/河野一郎が散々な対ロ外交“大敗北”した主因は、対ロ交渉したこと自体」と、正しい洞察をなしえた。該博な歴史知見こそ、正しい対ロ政治判断を育てる温室である。

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“狂史”捏造が人生の全てだった“プーチンの腹話人形”西尾幹二──世界史地図からロシアを白塗りした“赤い有害図書”『日本と西欧の五〇〇年史』の唖然

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 入学から十日も経たずミュンヘン大学哲学部から(1965年9月に)退学処分を喰った西尾幹二氏(以下、敬称略)らしく、西尾の狂史は、ことごとくロシア侵略隠しのマジック・ショー。2023年に上梓した『日本と西欧の五〇〇年史』は、ニーチェと同じ“反・歴史”“反・真実”の狂気を爆発させる分裂病患者・西尾幹二の、歴史を狂気で弄ぶ“アナーキー礼讃”の、六流文藝。

 トリックスター西尾幹二の面目が躍如する『日本と西欧の五〇〇年史』は、「ヒトラーのホロコースト狂気50%、プーチンの侵略詭弁50%」で書かれている。卑俗的に言えば、“反米狂”玉城デニー&KGBロスケ鈴木宗男の共著を西尾幹二が代筆して仕上げたのが、『日本と西欧の五〇〇年史』。

 この書は、2013~6年の三年半に掲載された雑誌『正論』の連載原稿十八本をまとめたもの。が、この十八本の雑誌論考は、この2016年にいったんお蔵入りした。それを2023年、既に歩行困難な体で七年ぶりに編集。2022年2月24日の“プーチンのウクライナ侵略”に興奮し応援したかった西尾幹二のスターリン崇拝の熱い情念が並みでなかったのがわかる。西尾幹二の評論は全て、ロシアに捧げる、ロシア世界制覇を祈祷する供物。西尾幹二は2024年3月、クリミア半島へのロシア侵略十周年を祝して、害毒本『日本と西欧の五〇〇年史』をプーチンに献上した。

 “強度のKGBロスケ”を超える“五百%ロシア人”の西尾幹二は、ロシアのアフガン侵略の直前(1979年夏)、KGB第一総局お抱え対外宣伝家を「知識人」だと詐称し、KGBの対日宣伝本『ソ連知識人との対話』を出版した。日本でも1979年夏から “先見の警告”「ソ連の対外侵略は近いぞ」が騒がれ始めた。この「ソ連脅威」論を封殺するのが、当該本の西尾幹二の出版目的だった。日共特別党員・西尾幹二の、KGB第一総局への熱い忠誠は、ロシア人・鈴木宗男より一万倍も激烈。

 なお、本稿は、現在執筆中の『“天皇殺し”西尾幹二の研究──ロシア聖者化の狂史と廃墟アナーキズム(上下二巻)、に供するための論考である。

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人類に戦争と災禍を齎す“血塗られた麻薬”ノーベル平和賞は即時に廃止されるべきだ──被曝者ゼロ人の“共産党の革命組織”被団協の「平和賞」受賞で、中・露・鮮の核兵器に一億日本人が焼殺される“日本の終末”は近い

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋                           

 受賞者を見れば一目瞭然だが、ノーベル平和賞は、ロシア第一総局&第二総局が選別した者を追認して授与している。この原因にはいくつかある。“選考委員五名+書記一名”は、ノルウェー国会が選ぶが、ノルウェー国会の第一党は労働党で、社会主義者・共産主義者が過半を占めていることも、この原因の一つか。

 それだけでなく、ロシアKGB第一総局&第二総局が推薦した者が受賞者の半分を占めている異常は、もっと大きな隠されたメカニズムの存在なしにはあり得まい。が、本稿では、この分析は割愛。尚、上記の選考委員会の事務局は、オスロにあるノルウェー・ノーベル研究所???

第一節 ノーベル平和賞の選考はロシアKGB第一総局(SVR)が完全支配

 ノルウェーはNATO加盟国で、米国の核の傘をもって国家の安全保障政策の根幹にしている。つまり、ノルウェー国は“核廃絶”を国是とはしていない。なのに、ノルウェー政府が間接的に関与しているノーベル平和賞の受賞者に、核廃絶運動を選ぶ傾向が顕著。この矛盾する行動は、日本によく似ている。日本は、米国の“核の傘”に依存しながら、日本共産党の核廃絶の革命運動を、財政的にもそのレーゾンデートル強化にも、ふんだんに支援している。

 ノルウェーのノーベル平和賞と日本の反核運動は、自由社会ひいては世界の平和を脅かしている。世界の平和にも日本の平和のためにも、ノーベル平和賞の廃止と“共産党の下部団体”被団協の強制解散を断行すべき時にある。

 さて、戦後のノーベル平和賞は、反核運動や核廃絶運動や共産主義者/KGBロスケを英雄視する授与になっている。表1と表2のほぼ全員はこれに当たる。世界の自由と平和と科学を破壊した“反・平和の有害人士”達ばかりではないか。

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大東亜戦争は、“スターリンの奴隷国”日本の祖国叛逆──棄民どころか、一般邦人“皆殺し”に暴走した関東軍

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 大東亜戦争八年間は、通常の戦争と見做しては説明がつかない。奇々怪々と狂気が踊る戦争だったからだ。戦争以外の目的で大爆走した、祖国叛逆の悍ましい戦争だった。スターリンに祖国を献上するための戦争、それが大東亜戦争の本質。こんな狂った戦争、人類史上に類例がない。

満洲一般邦人に対し、避難命令もソ連軍の侵攻“戦況”も、関東軍は断固として発出しなかった

 満洲に対するソ連軍侵攻の開始は8月9日午前0時。が、関東軍は、その前にもその後にも、一般邦人への避難命令を一度も発していない。関東軍は、一般邦人を暴虐なるソ連軍兵士の餌食にすべく「棄民」した。この「棄民」の結果は、一般邦人が阿鼻叫喚の地獄でのた打ち回ることになる。

 最後は“皆殺し”されるに至る。が、関東軍が「棄民」決行をした目的は、この「一般邦人が阿鼻叫喚の地獄でのた打ち回る」のを見て快楽したかったからだ。

 次に、関東軍は、ソ連軍の侵攻状況(戦況)を一般満洲邦人にラジオで伝えるべきに、それすら全く行わなかった。これは、在満邦人が、どこに避難するのがより安全か、そこに到達する安全なルートはどれか、の判断ができないようにするためである。レーニンを教祖と礼拝する気狂いがたちが中枢を牛耳る関東軍は、避難民がより多く殺されるのを快楽したかった。

 井上卓弥『満洲難民』は、「(首都の新京、侵略三日目の)8月11日になっても、ラジオなどで、公式に状況が報じられることはなかった」(注1)、とわれわれに伝えてくれている。

 尚、この8月11日、新京では空襲警報は発令された。空襲警報は行政庁(消防署)の所管。軍はいっさい関与しない。新京の消防署は、8月11日にはまだ機能していたのがわかる。また、関東軍は高射砲部隊に対し、「ソ連軍様の爆撃機を損傷してはならない」と、一発の弾丸も撃たせなかった。

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満洲邦人“虐殺”史の改竄は、これから起きる《北海道五百万人“虐殺”》対策をさせない油断戦法──菅義偉/鈴木直道/鈴木宗男は、満洲邦人“皆殺し”実行犯・秦彦三郎/瀬島龍三の生れ変り

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 犯罪者を隠蔽する歴史改竄の目的は二つ。第一。犯罪者の犯罪を隠蔽して、無罪放免にすること。1945年7月末、ソ連軍侵攻の十日前、満洲邦人を大連と営口の港に集める事前避難をしなかったのは、スターリンの命令で、満洲一般邦人「190万人前後」を“皆殺し”しようと、関東軍参謀長・秦彦三郎や作戦参謀・瀬島龍三が計画し実行したからである。大量殺人という、犯罪の中の犯罪。

 が、この血塗られた自国民ジェノサイド歴史について、戦後日本は決して暴くことをしなかった。正しい現代史研究をすれば、共産党から確実に大学を追われるからである。むしろ、「秦彦三郎、松村知勝、瀬島龍三、草地貞吾」らを庇う論文や評論あるいは単行本ばかりが発表された。犯罪者隠蔽は、戦後日本の現代史学界の主たる仕事だった。

 犯罪者を隠蔽する歴史改竄の第二の目的。犯罪者は同じ犯罪を何度も繰り返すから、この繰り返しを応援すれば、同じ犯罪を起こさせることができる。例えば、共産主義者「秦彦三郎、松村知勝、瀬島龍三、草地貞吾ら」の犯罪は、それを後継する共産党員・共産主議者は必ず繰り返そうとする。ならば、秦・瀬島の犯罪を隠蔽・歪曲して、その真像を炙りださないでおく協力をすれば、同じ犯罪が起きる確率はぐんと高くなる。

 満洲で1945~6年に起きたことを、もう一度、この日本列島で起こそうと考える共産党員・共産主義者にとって、満洲で1945~6年に起きた歴史は、現在の日本人の知る所となっては困る。レーニンを教祖とする現在の共産党員・共産主義者にとり、自国民“大量殺戮”というレーニン教“教義”に違反してまで、自国民“大量殺戮”をしないで済ますことは許されていない。

 以下、満洲1945~6年史を、満洲邦人の死者数推計に照明弾を撃ち込んで、これを明るみに出す。この狙いは、同種の犯罪が日本列島で確実に起きるのを事前に阻止したいからである。近未来の“満洲ジェノサイド”に対する予防対策を急いで採れ! と日本国民に訴えたいからである。

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近づく北海道五百万人“地獄の大虐殺”──関東軍“GRUロスケ参謀部”が主犯だった“満州陰惨”を再現する北海道

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 日ソ中立条約に違背する1945年8月9日未明に始まるソ連軍の侵略に対し、170万人と推定される在満州の一般邦人は、満州帝国の実質的な政府である日本帝国陸軍・関東軍の非道の殺意から、日本国への無事送還すら可能だった保護を僅かも与えられず、地獄に叩き落された。つまり、“究極の遺棄”で遺棄された。

「関東軍は、一般邦人に救いの手を差し延べる余裕がなかったから遺棄せざるをえなかった」、ではない。関東軍は、一般邦人170万人が、ソ連軍や支那人暴民に「略奪され、レイプされ、殺される」地獄を観て愉快犯的に快楽したく、野獣のロシア兵や支那暴民の群れに、婦女子が中心の自国民を抛り投げたのである。極東ソ連軍の下部組織だった関東軍参謀部は、総司令官・山田乙三を除き、全員がロシアGRUの共産主義者。スターリンの命令以外の行動は一㍉もしなかった。

 が、戦後の日本の現代史学界は、自国民に対する“殺人とその不幸を快楽する”日本史上最凶の悪魔のカルト宗教団体である共産党が徹底検閲するファッシズム体制下にある。当然、彼らの先輩信者に当る共産主義者が参集していた関東軍参謀部の悪行を隠蔽してあげることは、大学の赤い現代史教授たちが、同一教団の信者として果たしている宗教的義務。これが、2024年現在の日本には、戦後七十九年も経っているのに、1945~8年の満州・一般邦人の地獄の惨状に関する学術論文が一本もない理由。こと現代史&古代史の領域に関する限り、日本には、“学問の自由”が一欠けらもない。現代日本は、正しくは共産党支配の“赤色を脱色したファッシズム体制”の国家。

 この事実は、別の視点では、戦後の三世代に亙り、日本人は、共産党によって、現代史を剥奪された(現代史を持たない)“無歴史の夢遊病者=非・人間”に改造されていることになる。このような日本を、海外から全体的に鳥瞰すれば、《日本人は、無歴史/捏造歴史を信仰する非・人間(=理想の「動物化した人間」)への改造を唱導したルソーの宗教書『人間不平等起源論』(1755年)を聖なる経典だと狂信し“歴史を持たない動物”に自己改造した民族》とか、《日本人とは、悪魔の宗教「ルソー教」の“世界随一の優等生”信者集団》とか、と言い換えられる。

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真正の日本国民よ、サン=ドニ大聖堂に参拝しパリ・オリンピック開会式(悪魔の祭典)が徹底侮辱した王妃マリー・アントワネットに鎮魂の祈りを捧げよう──墓前で○首するマクロン仏大統領とパリ市長の胸像を発注したいので、美大の学生諸君、連絡を乞う

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 野蛮と狂気の“悪魔の狂舞”祭典となったパリ・オリンピック開会式には、日頃穏やかで温厚な私も、怒髪天を衝く怒りが収まらない。ダヴィンチの名画「最後の晩餐」を、LGBTの女装男性(ドラァグクイーン)や髭を生やした中年トランス・ジェンダーたちの「レインボー狂宴」にパロディ化するとは、カソリック・キリスト教徒への暴力剝き出しの冒涜に他ならない。しかも、その中の一人は、わざと一物の先端を見せており、刑法違反の公然猥褻。

 さらに無実の罪でギロチンとなったマリー・アントワネットの生首に歌を歌わせ、挙句に、実際の拘置所の建物の全体から血の煙を噴き上げさせ、さらに滴る血をテープで表現するなど、真っ当な人間のすることではない。この舞台を作った芸術監督トマ・ジョリはエイズで死んだフーコーに心酔するゲイ。この芸術監督は開会式演出でテロリズム賞讃など複数の刑法違反を犯した。フランス政府は厳正に処断されたい。

 フランス革命によるマリー・アントワネットの悲劇と哀しみを、私は中学二年生(13歳)の時、知った。以来、断腸の思いで胸が痛む。特に、王妃アントワネットが処刑の直前まで思いを馳せた皇太子ルイ十七世が、父ルイ十六世や母アントワネットよりも酷い虐待死だったことは間違いなく(死亡時十歳)、ならば、母アントワネットの処刑の前にギロチン処刑して、アントワネットの憂いを一つでも取り除いてあげるべきだったと考えると、私は落涙を抑えることができない。

 ルイ十七世の遺骸は今、サン=ドニ大聖堂で、父ルイ十六世と母アントワネットの傍で眠られておられる。これが、せめてもの救い。それにしても、マリー・アントワネットの首を窓にずらりと並べて歌わせるとは、許されるべき演出ではない。これは芸術ではなく、テロリズムの犯罪! これほど死者への冒涜、王族・王妃への侮辱は、ハマス以上に残虐。天に唾する血塗られた狂気。

 キリスト教徒でもない私の参拝ではご迷惑かも知れないが、サン=ドニ大聖堂が祀る、マリー・アントワネットの石像を白いユリの花で埋め尽くし、その前でマクロン大統領とパリ市長アンヌ・イダルゴの胸像の首を(武家の打首の儀式に則って)斬り落とし、マリー・アントワネット王妃の御霊を鎮めたい。

 ついては、機内に持ち込める縦40㎝ほどの両名の胸像が必要で、美大の学生で奇特な方に注文したい。吉田寿太郎(当ブログ管理人)までご連絡して頂ければ有難い。尚、サン=ドニ大聖堂を参拝した後、パリからロンドンに飛んで、そこからベコンズフィールド(Beaconsfield)に向かい、英国国教会の教会を訪問する予定。礼拝堂の床下に眠るバークに報告するためである。

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第六章 皇統を紊乱させ皇室を廃滅に至らしめる秘密党員・櫻井よし子氏の“猛毒”養子論──“皇室二千年の叡智” 「男性宮家の数の増強(旧皇族の復籍)」をなぜ排撃するのか

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

(本稿は2012年5月に『撃論』第五号に発表した論文。『女性皇族「囚人」“狂”櫻井よし子論』第Ⅰ部に、第六章として追加収録する)。

 原発再稼動の問題と消費税の率上げ法案で政局が大揺れに揺れているのをチャンスとばかり、野田佳彦・民主党政権は、実にとんでもない過激な共産革命を静かに着々と進めている。天皇制度を必ず自然廃滅に至らしめる“(赤色ではない)透明な共産革命”にほかならない「女性宮家の創設」という大暴走。今、内閣官房で行なわれている「女性宮家ヒアリング」が、それ。

女性宮家“有識者”ヒアリングの奇観

 ヒアリング第一回は、2012年2月29日。選ばれたのは、“北朝鮮人”田原総一朗と“共産党員”今谷明。両名とも、皇位継承学に無縁だし、この分野の全くズブの素人。そればかりか、両名は、名だたる天皇制廃止の極左革命人士。それがどうして、有識者として呼ばれているのか。

 藤村修・官房長官は、「皇位継承の問題でなく、喫緊の課題である女性皇族問題だけに限定した(2012年2月20日、記者会見)と述べた。が、日本の歴史のどこにも存在しない荒唐無稽で奇天烈な制度「女性皇族を当主とする宮家」を創設すれば、それが様々な皇位継承問題を巻き起こすのは自明。そもそも、いかなる皇族も、「皇位継承に直結しない/関係しない」などということは不可能。こんな事実は、議論以前に明らか。藤村修・官房長官の詭弁は度がすぎている。

 しかも、この「女性宮家ヒアリング」を実際に担当するのは、京都帝国大学法学部の学生時代から民青(共産党の学生運動組織)の活動家で、卒業後から現在にいたるその生涯すべてを共産革命にささげたスターリン直系のコミュニスト、園部逸夫(現在八十三歳)である。園部といえば、天皇制廃止と同義である女性天皇/女系天皇/女性宮家をまとめた、あの悪名高い『皇室典範に関する有識者会議報告書』(2005年11月)の座長代理だった。

 この座長は、名ばかりの吉川弘之(元東大総長、学生時代は東大民青のリーダーの一人)だった。吉川弘之の専門がロボット工学のため、「(座長の吉川は)園部のロボット」と揶揄された。それほど「2005有識者会議」は、園部逸夫ひとりの独擅場だった。その『報告書』も100%園部逸夫の作品、つまり100%共産党製。

 そんな狂信的な共産党員の園部逸夫が、七年前と同じく「2012女性宮家ヒアリング」のリーダーである。結果として「2012女性宮家ヒアリング」は、七年前の小泉純一郎首相肝いりの『有識者会議』をそっくり引きずって必ず全く同じものになる。つまり、今般の「2012女性宮家ヒアリング」は、悠仁親王殿下のご誕生で女性天皇・女系天皇による天皇制廃止革命を理論化した『2005有識者会議報告書』がいったんお蔵入りしたので、表紙デザインの色を変え百%同じ内容で復活させる死体カラーリング工場のようなものか。

 即ち今般、ヒアリングの招集された似非専門家たちは、園部逸夫が操る“操り人形”になるのを快諾した、『2005有識者会議報告書』と全く同一内容のものを、さも相違するかに踊り演技をする俳優・女優を引き受けたと言える。表1に園部逸夫の操り人形たちをリストしておく。

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第五章 憲法“大改悪”を奨め、共産党ファシズム体制づくりに狂奔する秘密党員・櫻井よし子

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

(本稿は『女性皇族「囚人」“狂”櫻井よし子論』第Ⅰ部第五章。「発売6月10日予定、編集者渡し最終5月27日」に間に合わず、同書に未収録)。

 日本に(1906年以降消滅していた)保守が四十年ぶりに復活したのは、米軍が日本に進駐しGHQが七年間(1945・9・2~1952・4・28)、日本を統治してくれた成果である。“保守主義者の天才”昭和天皇が初めて天皇らしく君臨されたのは、GHQ統治の七年間だけであった。日米安保条約も沖縄県の米軍基地も昭和天皇のご発案である。

 また、1917年のレーニンのロシア共産革命以降、日本で保守や保守主義者のイデオロギー「反共・反ロ・親英米・反ナチ」が初めて標榜できるようになったのも、GHQが統治したからである。戦前の日本とは、レーニン/スターリン/マルクスに狂喜する社会主義・共産主義一色であった。ために、昭和天皇は、スターリンに使嗾された共産主義者のクーデタに(5・15/2・26/8・14と)三度も襲われ、最後の8・14宮城クーデタでは銃殺される寸前だった。

 昭和天皇は、1946年元旦詔書で、1935年の「国体明徴声明」を厳しく御非難された。天才の昭和天皇は、「国体明徴」が「日本国をスターリン体制の独裁国家に改造せよ」の隠語なのを喝破されておられた。1946年元旦詔書の渙発を含め、GHQのお蔭で日本は、多くの正常化を可能にした。

 同様に、米国の太平洋戦争も、日本列島をスターリン侵略から護り、昭和天皇を救出し天皇制度(国体)を護持する戦争だった。つまり、日本に進駐するマッカーサー元帥の米軍とは、日本にとっては文字通りの神風だった。米国の“対日戦”勝利と進駐により、日本は亡国を免れた。

 太平洋戦争とは、かくも日本国と米国が入れ替わった、人類史上類例の無い奇妙な戦争。敵国・米国が日本の国体を護持せんとし、“スターリンの犬”日本が自国の国体を破壊し国家廃滅に至らしめるのを戦争目的とした。

昭和天皇を初め日本の保守/保守主義者は、大東亜戦争否定&東京裁判支持

 しかも、GHQのお蔭で、昭和天皇を初め日本国に保守/保守主義者が、(1905年末に消えてから)四十年ぶりに再生。日本の保守/保守主義者は、共通して大東亜戦争否定&東京裁判肯定に立脚する。この事実は、これと真逆の大東亜戦争肯定論/東京裁判否定論が共産党員・共産主義・アナーキストから唱道されてきた事実と符合する。

 後者の大東亜戦争肯定論は、1963~5年の林房雄の『中央公論』誌連載が嚆矢。天皇制を罵倒し嘲笑し続けた強度な共産主義者の林房雄は、偽装離党など演技上手の芸人。コロリと騙されたのは、無垢な三島由紀夫だけではなかった。

(備考)1965年頃、林房雄を保守だと逆さに誤解した日本人は、かなり多い。番町書房の社長は反共だったが故に、この連載を単行本にした。本郷の三年生だった私は、これには吃驚。反共が大東亜戦争否定論ではなく肯定論に反転・洗脳されたのか/「ソ連→林房雄」の狙いはこれなのか、とボンヤリと感じ、ぞっとした。以来、林房雄と昵懇な三島由紀夫を軽蔑するようになった。

 ブレジネフ語「東京裁判史観」で表現される、東京裁判否定論は、翌年のアフガン侵略で日米間を離間する心理作戦として、ソ連KGB第一総局が1978年、日本国内に流布したのがその嚆矢。それ以前の日本では、東京裁判が昭和天皇を不起訴とし天皇制度を護持したことで、東京裁判への感謝と支持が絶対多数だった。(日本共産党員を例外として)日本国民の九割がそうだった。

 天皇制廃止の公然たる革命運動の一つ“東京裁判否定”論は、靖国神社宮司でGRUロスケ&共産主義者の松平永芳(昭和天皇が蛇蝎と排撃した「皇国史観」の狂信者)が、1978年10月、昭和天皇を騙してA級戦犯を靖国に合祀したことで、日本会議など民族系のドグマとなり、燎原の火となり日本中に広まった。この合祀に昭和天皇は怒髪天を衝く勢いでお怒りになられ、天皇は、靖国への御親拝を拒否。以来、天皇の御親拝は今に至るもない。拙著『昭和天皇と靖国神社』を参照せよ。

 尚、KGB語「東京裁判史観!」も、同じ1978年に日本で流布が開始。この事からも、昭和天皇銃殺の8・14クーデタの(おバカすぎて参加させてもらえなかったが)仲間だった松平永芳の「A級戦犯“靖国合祀”は、KGB第一総局の命令だった」と推定しても、的外れではないだろう。

 ルソー狂徒で共産主義者の小堀桂一郎(「レーニン史観」の変名「皇国史観」の信者)は、反・歴史の偽情報本『東京裁判の呪ひ』(PHP、1997年)を出版し、日本会議を“共産党の別動隊”“KGBの犬”に仕立てあげた(中川八洋『小林よしのり《新天皇論》の禍毒』第八章、オークラ出版)。“KGBロスケの敵性人士”櫻井よし子氏(以下、敬称略。備考)は小堀桂一郎を継ぎ、公然と共産党と組み、東京裁判否定論の宣伝に全力疾走中。今も、その勢いに緩みはない。

(備考)私が、櫻井よし子の顔を見た最初は、日テレ「今日の出来事」のTV画面で1980年。多くの人は美人だと言ったが、私は、般若の面にしか見えず、恐怖を感じた。彼女の口周りの異様な容貌は、ツングース系の騎馬民族のそれ。類似の口周りをもつ日本人女性を、私は今に至るも一度も見たことが無い。

 その一例。党籍ある共産党員・篠原敏雄(国士舘大学教授)が主催した「東京裁判シンポジウム」の基調講演(2017・11・2)は櫻井よし子(『新・東京裁判論』第一章、産経新聞社)。東京裁判の速記録も読んでいない“無学・無知の権化”櫻井よし子が、知ったかぶりの厚顔無恥で日本人相手に現代史を語る“異常な傲慢”性は、彼女が日本に侵略してきた北朝鮮人で日本人ではないから可能な行動。櫻井よし子の東京裁判否定論と「天皇・皇族を殺せ!」は、日本憎悪教という、一本の木に咲く猛毒の二つの花。赤と黒で色が異なるが、別々の木の花と錯覚してはいけない。

 上記の事実は、もう一つの事実「東京裁判肯定/大東亜戦争否定の保守・保守主義者は、強度な天皇制度護持論者」と対極的な関係で整合している。心底から天皇制度の護持論者である真正の日本国民は、昭和天皇の聖性を護持した東京裁判に対して“感謝/感謝/感謝”を捧げる。キーナン検事の銅像を皇居前広場に建立したいと考える。

 尚、昭和天皇以外の保守・保守主義者を一部、リストしておく。全員、GHQが日本統治した“お蔭”で誕生し、それぞれに活躍できた。政治家・官僚では、吉田茂/幣原喜重郎/曽野明。学者・評論家では、竹山道雄/福田恒存/林健太郎/磯田光一/平川祐弘/勝田吉太郎/中川八洋ら。GHQと東京裁判が無ければ、これらの保守人士は、日本には一人も産まれていない。

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