筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
英国首相チェンバレンがヒトラーの言いなり人形になって、同盟国チェコの“天然の大要塞”ズデーテン山岳地帯を、ナチ・ドイツに献上した愚行は、今も欧州諸国の誰も忘れない。このチェンバレンの対ヒトラー宥和が、もろに第二次世界大戦となり、欧州を焦土と化したからだ。だから今も英国人は、1938年10月5日、当時のヒトラー・ブームの英国にあって、敢然とチェンバレンのミュンヘン宥和を非難したチャーチル下院議員の炯眼と勇気を、八十六年が経つ今も讃えるのである。
軍備管理論や対ナチ・対ロシア政策を含め、私の国際政治学は、チャーチル外交をモデルにそれを発展させたものだが、私が読んだ厖大なチャーチル演説の中でも、この“ミュンヘンのチェンバレン愚行”を糾弾するチャーチル演説ほど、世界の平和秩序維持における侵略者と戦う精神の重要性を訴えたものは他にはない。
日本では、コミンテルン共産党系の近衛文麿が大東亜戦争を開始した1937年7月以降、スローガン「鬼畜米英」の集団ヒステリーの大暴風が荒れ狂い、チャーチルを報道することはほとんどなく、況やチャーチルを称賛する声は一文字も活字にならなかった。だから、1938年9月のミュンヘン会議の報道は、ひたすらヒトラー礼讃が洪水となって日本の新聞・雑誌を埋め尽くした。
赤いファッシズム時代の大東亜戦争八年間の悪影響は、反共だったGHQの七年間統治を経ても今も日本を蝕み続け、日本の大学ではチャーチル研究は共産党により絶対禁止。戦後八十年の2025年に至っても、チャーチルに関する学術研究は論文一つ存在しない。チャーチルの主要な重要演説は一本も翻訳されていない。日本の国際政治学界が蟻の忍び込む隙間すらないほど反チャーチル一色なのは、大学が共産党に簒奪され、学問の自由が日本には全く無いためだ。